或る闘病記

生きるって楽しい。

砂嵐 | 合掌

 

 昨日、ようやく退院しました。特に騒ぎ立てるほどでもなく、やるべき事務的なことだけを淡々とやって病院をあとにし、10分遅れで1限に出席しました。

 

 

 昨年の10月25日に風邪を引きました。19歳の誕生日の、ちょうど1週間後でした。あれが全ての始まりでした。39度の高熱が下がらなかったものの、しんどくもなかったので大学に休まず通い続けました。今思えばそれは正解でした。あのとき、講義室で風邪をうつされなかったり、風邪を家で療養して安静にしていたら、癌の発見も遅れていただろうし、多分死んでいました。幸か不幸か、とにかく単なる風邪をこじらせて肺炎になり、とある病院に入院しました。それが必然だったのかどうかなんて確かめようもありません。ちょうど7ヶ月前の出来事です。

 

 その病院を去ったのは、記憶が正しければ11月6日でした。真っ白になっていた肺は、1週間の点滴治療によって、CT画像を見る限りは綺麗に戻っていました。ただその去り際、もう名前も顔も忘れた主治医に、親と一緒に呼ばれました。その肺のモノクロ画像を見せながら、「ここね、ここです」と影を指されて京大病院の紹介状を書かれた時点では、まさか自分の身体が致死率の高い癌に蝕まれているなんて思いもしませんでした。

 

 それから3週間経ち、初めて京大病院を訪ねました。11月24日でした。ちょうど半年前です。あの日、癌を告げられた日、その時点から何か自分の中での世界線が変わったような気がしました。そしてそれからの半年の闘いというのは、重苦しくて長い長い闘いでした。

 

 

 癌というのは、早かれ遅かれ多くの人が通る道です。それが何年先、何十年先になるかは分かりませんが、何となく、僕は病気で死ぬなら癌で死ぬ気がします。あなたもわたしも、現在の統計から言えば、癌で死ぬ確率は非常に高いのです。

 

 この病気は、精神的にも肉体的にも、自分自身との闘いです。自身を攻撃する自分の細胞と闘い、自身の健康な細胞まで殺す薬剤の副作用に耐え、そうして死という概念と一対一で向き合う、そんな病気です。今振り返ってみて、どうやってこんな自分がその砂嵐を抜けてきたのか、それはよく分かりません。ただ、自分には幸いにも、たったの19年で数知れない素晴らしい人々と出会い、そして彼ら彼女らに何度も何度も支えていただきました。そしてこの病気になって知り合った方々も何十人もいて、やはり精神面で何度も助けていただきました。

 

 言葉にすると驚くほどに薄くなりますが、「人との出会いは大切にしなければならない、その存在はいつかきっと自分を支えてくれる」というのが、この半年間で身をもって感じられた結論です。死というのは孤独とともにあって、孤独は死を呼びます。人は支え合うことでしか生きられないのです。精神の死と身体の死は表裏一体で、だから古代ローマの時代から "sound mind in a sound body" が叫ばれてきたのかもしれません。

 

 

 ところで、僕はこの半年間で神とか仏とかを強く信じるようになりました。別にそれまで信じていなかったわけでもないのですが、ある種の信仰が精神的な支えになるのは間違いなく事実で、だからこそ太陽が地球の周りを回っていると言われた時代のさらに前から、ずっと宗教が存在しているのだと思います。科学がいくら発展しようと、人智の及ばない領域というのは確実に存在していて、そういう部分が人の生き死にを左右しているような気もします。

 

 京大病院には構内に全快地蔵という地蔵菩薩がひっそりと佇んでいて、ここには何度も手を合わせました。目を閉じて両手を合わせるという行為は、精神を極限まで落ち着かせてくれます。この瞬間にだけ、自分が本当に何を望んでいるかが分かる気がします。

  

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 退院の朝も手を合わせました。今望むことは、自分の周りの人々が幸せでいられるように、ということだけです。自分自身の将来の健康を願うのは、何だか居心地が悪くなるのであまりしません。取り敢えずは癌が寛解したのだし、何不自由なく今を生きているのだから、今にだけ感謝すればいいと思います。合掌。来年のことを言うと鬼が笑う。

 

 

 最後に、村上春樹著、「海辺のカフカ」の一節を。

 

 ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足取りを変える。そうすると、嵐も君に合わせるように足取りを変える。君はもう一度足取りを変える。すると嵐もまた同じように足取りを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰り返される。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な何かじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。だから君にできることといえば、あきらめてその嵐のなかにまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。

(中略)

そしてもちろん、君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。そのはげしい砂嵐を。でも形而上的であり象徴的でありながら、同時にそいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。暖かくて赤い血だ。君は両手にその血を受けるだろう。それは君の血であり、ほかの人たちの血でもある。

 そしてその砂嵐が終わったとき、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとうにそいつが去ってしまったのかどうかも確かじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏みいれたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。 

 

  癌という砂嵐に意味があるとするならば、それは「僕自身を変えた」ということだと思います。砂嵐に足を踏みいれた半年前の自分の文章を見ていると、本当に一生懸命拙いことを書いています。でも僕はもう、そういう人間ではありません。そしてこの半年間で、「それは君の血であり、ほかの人たちの血でもある。」ということをありありと感じられたのも、これからの自分の人生の中で大きな意味を持つと思います。砂嵐が去ったのかどうか、それは分かりませんが、少なくとも今は砂嵐は見えない。五月晴れの青空が地平線まで広がっています。再発や併発があるかどうかなんて、人智の及ぶ領域ではありません。人間にできることなんて、運命から逃げずに嵐に足を踏みいれ、目と耳をふさいで手を合わせるくらいなものなのです。

 

  そして僕にとっての癌というのは、決して "どこか遠くからやってきた無関係な何か" ではなかったのです。人生における嵐というのは、偶然というよりもむしろ必然的にやってきます。全てが偶然の様相を呈した必然なのです。そしてその嵐は、結果的に自身を形成する栄養素になるんです。嵐に傷ついて涙ばかり流していても、血は止めどなく流れます。つらいことに対して「耐えられない」という人は、たいてい気を強く持とうとするあまり、目も耳も閉じていません。でも砂嵐の中で物事を見極めたり聞き分けたりできる人間なんてごく一部しかいないのです。だからしっかり目と耳を塞ぐというのは、自分を見失わず、なおかつ自身の声と鼓動に耳をすますという点で、非常に重要だと思います。人間は誰しも、何かしらの砂嵐の渦中に定期的に置かれることになっているのです。その砂嵐がいつどこで始まり、いつどこで終わるかなんて、誰にも分かりません。確かに砂嵐には無慈悲な側面がありますが、ただひたすらに手を合わせ、一歩一歩進んでいけば、血が尽きるまでには止むようにできていると思うんです。そして目と耳を閉じるというのは自分を守る行為であって、決して逃げることではないと思います。

 

 砂嵐は鍛錬に似ています。トレーニングによって傷ついた筋肉が修復されることで肥大していくように、砂嵐によって傷ついた精神は修復と共に強く逞しくなるのです。重要なのは正しい方法で鍛錬をすることであって、泣いてばかりいては傷つくだけで、精神が肉離れをおこして再起不能になります。砂嵐は、精神を殺傷する力と精神を成長させる可能性を、同時に秘めているのです。その両者は紙一重に存在しています。

 

 ただ僕自身は、この半年間を振り返って、もう二度とこんな砂嵐には逢いたくないとも感じています。もはやそんな気力もないし、あんなものをどうやってくぐり抜けて今生きているのかも分かりません。一方で、この砂嵐は自分自身を大きく成長させてくれたのもやはり事実です。死というのは人生において避けては通れない題目であって、それに向き合うということは、すなわち生に向き合うことと同等な気がします。生きているということの尊さを、この砂嵐に教えてもらいました。それから、人との繋がりをひとつずつ、ゆっくりと時間をかけて再確認できました。だから、例えそれが偽善に聞こえようと、やっぱりこう思います。これは心の底から湧き出すように感じていることなんです。

 

 

癌になって、良かった。

 

 

昨年の12月8日に始めた闘病記も、一旦ピリオドを迎えることができました。この日をどれほど待ち侘びたことか。

 

本当に、ありがとうございました。

 

合掌。

支えていただいた全ての方々と、それから砂嵐に。

 

 

 

劇的ビフォーアフター

 

 傷口は順調に治ってきました。このまま上手くいけば、おそらく今月の15日あたりに、傷口に自分のお腹の皮膚を切り取って移植する手術をしたあと、晴れて退院となりそうです。

 

 言い忘れていましたが、今は形成外科にいます。泌尿器科、呼吸器外科、形成外科と、色んな病棟を経験しましたが、本当に患者さんの層も、症状の程度も、生きる意志も、それぞれによって全く違うんですよね。驚きです。

 

 ところで。ゴールデンウィークもずっと入院、というのは耐えられなかったので、主治医に「大型連休なんで、出来れば家に帰りたいです」と伝えたところ、あまり動かないなら、とお許しをいただきました。でも本当に家でじっとしていると思いますか?そんなわけないでしょ。色んな所に行って、楽しい楽しいゴールデンウィークを過ごさせていただきました。バレたら怒られるかな。でもほら、病気と対峙するうえで、気持ちの面って非常に重要なので、気分転換は本当に必要です。言い訳がましいね。

 

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 医療機器片手に、後輩の陸上の試合の応援にも行きました。

 陸上は9年続けていたので、100回以上ここに来てますが、いつも新鮮です。来るたびに空気感にうずうずするんですよね。筋肉も骨も切っちゃったので、あの頃のようには決して走れないけれど、当時の感覚だけははっきりと覚えています。高校生っていいなぁ、と思いました。後輩達も本当に逞しくなっていました。劇的変化。インハイ路線頑張って欲しいな。

 

 2日間、炎天下のもとで応援していたので、僕の腕の色も喉の調子も、劇的なビフォーアフターを遂げました。

 

 さて。タイトル通り、今日は割と劇的なビフォーアフターを見ていただきましょう。僕の髪の毛の変遷です。

 

 …と、髪の毛のビフォーを載せようと思ったのですが、あまりに恥ずかしくなったのでやめておきます。昨年の12月30日に抗ガン剤の影響で全て抜け落ちました。

 

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 風呂に1回入っただけでこんなに抜けるんですよ。もうホラーですよホラー。シャワー浴びたら水と一緒に髪の毛が流れていくんですよ。夢に出てくるわ。

 

 

当時のイメージはこんな感じです。友蔵。

 

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 坊主じゃなくてハゲですからね。そりゃ最初は精神的にやられましたよ。でも今はもうすっかり生えてきました。割と伸びるの早くないですか⁇

 

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 …嘘です。これはウイッグです。

 

 本当にみんな気づかないんですよね。人毛50%使用とかなので、近くで見ても全くわかりません。凄いよな〜

 

 あ、髪の毛の長い女性の方々は、もし彼氏と別れたりして思い切ってショートにすることがあれば、是非髪の毛を寄付してあげてください。僕は普通にウイッグを買いましたが、以下のURL先のNPO法人では、頭髪の悩みを持つ18歳以下の子供に無償で医療用ウィッグを提供しています。ウィッグを作るための人毛は慢性的に不足状態なので、ヘアードネーションにぜひぜひご協力を。

NPO法人 JAPAN Hair Donation and Charity

 

 ただ釘を刺すようで悪いんですが、僕はショートよりは断然ロング派です。

 

 

 で、現在の僕の髪の毛はこんな感じです。

 

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いや笑うなよマジで。この写真載せるん割と勇気いるんやで。笑

 

 もともと髪質が悪いので天パになるかなと思っていたら、割と質のいい髪の毛が生えてきたので安心しました。野球少年と違って、触ってもサラサラなんですよ。元に戻るまではあと半年くらいかかるかな...

 

 

 

 久々に帰宅することが出来たので、ここ数日は暇さえあればピアノを弾いてました。陸上は9年続けたと言いましたが、ピアノは3歳から8年間やってました。これも最高の気分転換になるんですよ。逆に入院で長らく触ってないとイライラしてきます。今は超自己流で趣味がてらに弾いてます。

 

 今日でゴールデンウィークも終わりですね。明日からまた頑張りましょう。

 

 それでは最後に聞いてください。もちろんこの曲、イヤホン推奨です。大改造‼︎劇的ビフォーアフターより、松谷卓作曲、「匠/TAKUMI」。

 

youtu.be

 

 

スーパーバグ・クライシス

 

 風邪で病院に行ったとき、「取り敢えず抗生物質出しときますね〜」とか言われたことありませんか?

 

 それ、ヤブ医者です。

 

 日本では、昔から抗生剤が「気休めの薬」として提供されてきました。僕も風邪になるたびに、白っぽい袋に入った粉薬を処方されて飲まされた記憶があります。

 

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 こんなやつですね。じつはこの味結構好きだったんですよ。舌の上で溶けて行く感覚とか懐かしいですね。体が大きくなって粉薬が錠剤に変わったとき、少し残念でした。

 

 それはさておき。 風邪に対して抗生物質を処方する、というのは、全くの

「無駄」

だということが分かっているようです。抗生物質は「細菌(バクテリア)」には効きますが「ウイルス」には効きません。インフルエンザの場合に使われるリレンザタミフルは「抗ウイルス剤」で、「抗生物質」とは全く異なります。風邪の場合は、原因となりうる100種類以上のウイルスを特定するよりも、自然の免疫力で治した方が早い、というわけです。

 

アメリカでは、医者は基本的には抗生剤を処方しないそうです。 厳しい規制があるらしく、風邪はおろか、他のウイルス性の病気だったとしても、抗生物質の処方はほとんどしてくれないそうです。当然といえば当然ですが。不要な抗生物質の処方は行わない、というのが世界的な医療のスタンスになってきているようですね。風邪ぐらい冷えピタ貼って寝とけや、みたいに言ってくれる医者の方がいい医者ですよ。

 

 

 どうしてこんな話をしているのかというと、僕の傷口から、とあるウイルスが検出されたからです。

 

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カルバペネム耐性腸内細菌科細菌 (CRE)。

 

これは、「抗生物質耐性菌」と呼ばれるもので、その名の通り、抗生物質が効かないウイルスです。近年、猛威を振るうようになり、2014年にWHOが警鐘を鳴らしてからは、世界的に危機意識を持たれるようになったみたいです。

 

 どうして最近になって問題化してきたかというと、世界的な抗生物質の乱用が原因だそうです。抗生物質というのは、使い続けるとそれに耐性を持つ菌が生まれ(ウイルスってすごいね)、耐性を持った菌のDNAが伝達され、それに対して人間がさらに強い抗生物質を投与し…と続くうちに、どんどん強力な菌が生まれるようです。そして感染症の最終手段として使用され、最強の抗生剤と言われるカルバペネム系の抗生物質に強い耐性を持つ菌が誕生しました。これがCRE、カルバペネム耐性腸内細菌科細菌というわけです。こういった細菌はsuperbug(スーパー耐性菌)と呼ばれています。世界初の抗生剤ペニシリンが生まれて90年。ホイホイと薬を使う人間に対して、ウイルスがついに攻勢にまわったというところですかね。

 

 

 どれほど危険なものなのかを調べてみたところ、2050年には年間1000万人が死亡すると予測されているそうです。癌による死者数が現在世界で年間900万人なので、それ以上ということになりますね。キャメロン首相が "medical dark age" と恐れ、オバマ大統領でさえ "most pressing public health issues facing the world today" と危機感を募らせているのも頷けます。あのアメリカでさえ、今後さらに抗生物質の使用を規制していくそうですよ。日本の厚生労働省は何しとんねん先月ようやく動き出したようです)。

 

 現在、国内ではカルバペネム耐性腸内細菌科細菌に年間1700人程が感染し、60人程が死亡しています。全世界では年間70万人が命を落としています。僕は保菌しているだけで、感染しているというわけではありません(傷の治りが遅い原因がこの菌のせいかどうかはまだ分からないようです)。ただ、血管や骨に入ると、敗血症などの重症になる可能性があり、最悪の場合死にます。血流感染の死亡率は40〜50%とされているそうです。

 

 

 ー  と、こんな感じで書くと割と深刻そうに見えますが、別にそういうわけでもないです。というのも、スーパー耐性菌というのは、健康な人には全く無害な菌です。ただ、手術直後の患者や免疫力の弱っている患者に対しては、非常に危険だ、ということです。

 

 あれですね、緑膿菌とかと同じ話です(余談になりますが)。植物の表面などに付着している緑膿菌は、もちろん健康な人には何の問題もないですが、免疫の弱った患者には危険、最悪の場合血液や気管、尿路などに感染して死に至るということで、多くの病院ではお見舞いのお花を禁止しています。京大病院はもちろん禁止で、お見舞いでお花を持ってきてくださった方には申し訳なかったのですが、ナースステーションで預かってもらったあと、親に家に持って帰ってもらってました。あれは禁止のくせして地下の売店で花売ってるのが悪いねん…。

 

 

 話がそれましたね。何の話やっけ。とにかく、健康な人がお花をベタベタ触っても大丈夫なように、僕が傷口をベタベタ触っても大丈夫だ、ということです。

 

 ただ、医療の進歩とウイルスの進化のイタチごっこは、行く末が案じられて非常に心配です。目には目を、なんてやってたら、いつか人類滅ぼされますよ。スーパー耐性菌が蔓延しだしたら、ただの風邪くらいでも、免疫低下に付け込まれて死んでしまうことになります。あるいは、先端医療をいくら施しても、多くの人が術後の全く関係ない感染で死亡してしまう、ということが十分あり得るわけです(これが危惧されています)。日本では2010年に帝京大学病院の院内感染で患者46人が感染、うち27人が死亡して問題になっていました。まさに現代医療の終焉ですね。果たして、「スーパーバグ・クライシス」と呼ばれるこの状況に打開の道はあるのでしょうか…。

 

 

 

 とりあえず、今度発熱して医者にかかったとき、ただの風邪なのにフロモックスを処方しようとしたら、「そんなもんいらんわボケ!」とでも言って帰ってやろうと思います。みなさんも「黙れヤブ医者!」くらいの勢いで噛み付いて、「ん、あれ、どうして風邪なのに抗生物質を処方なさるんですか…?」と根掘り葉堀り聞いてくださいね(もちろん正当な理由があって処方される場合もありますが)。あなたの意地悪な質問が世界を救います。

 

 

 

バックのバック

 

「傷の治りがね...ちょっと...」

「うーん、バックかなぁ」

「持ち歩いてもらいましょうか」

 

 嫌な予感がしていたのですが、案の定でした。明日からバックになりました。医療機器の入ったバックを持ち歩く、その名もバック療法です。

 

 どんだけ適当な名付け方やねん、と思ったらBAG療法じゃなくてVAC®療法でした。

 

 VACとは、Vacuum Assisted Closure の略で、陰圧閉鎖療法と呼ばれています。

 

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 ここ10年ほどでメジャーになった療法で、深い傷に吸引をかけることで、肉を盛ることを目的としています。

 

僕の場合、傷口から白い胸骨が露出している程度には創部が深いので、割と時間がかかりそうです。この機械の保険適用期間は4週間ほどなので、それまでに治ればいいのですが...

 

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 ちなみに創部はこんな感じです。痛そうでしょ。実際はカラフルなのでもうちょっと気持ち悪いです。

 

 

 機械も割と高価なものらしく、調べてみたら15万円ほどする代物でした。本当は院内でのみの使用に限られるとのことですが、大学が近いということで、特例的に外出を認めていただきました。ということで、明日から医療機器を付けたまま講義に出ます。異常があればアラームが鳴るので、講義中に大きな音を出しても許してください。機械はこんなやつです。

 

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 明日からは、基本的に家には帰らず、大学と病院を往復する生活になりそうです。いつ傷が治ることやら。ちなみに、ある程度肉が盛ってきたら、その部分にお腹の皮膚を切り取って移植する手術を行う予定です。先は長いね。

 

 あーあゴールデンウィークの予定が...

 (´-ω-`)

 

血まみれ〜

 

 一昨日のブログでも報告したように、昨日、胸骨のワイヤーを抜去する手術をしました。結局、ワイヤーは2本抜きました。傷口を広げて抜くので、もともと深さ1cm、直径2cmだった傷口が深さ1cm、直径5cm程度に広がりました。流石に直視するとかなり赤い肉が露出していて痛々しいですが、別に痛くもかゆくも何ともなかったので、特に気にも留めませんでした。まさか、この傷があんなことになろうとは、この時は思いもしなかったわけで...

 

 

 全身麻酔は結構楽しみだったんですが、今回は割と麻酔に抵抗できました。注射開始から30〜40秒くらい意識がありました。麻酔科医は僕の心中を読み取ったのか、「はい、ちゃんと深呼吸してください」と言われました。身体がふわふわと浮くような感覚があって、気がつくと手術が終わっていました。

 

 

 そうそう、手術時間、何分だったと思いますか?割と早かったですよ。ちなみに、麻酔時間は2時間ほどでした。

 

 昨日の手術時間はですね、

 

 何と、

 

 

 

 

 

 

 

15分!  速い!!

 

 

 

 

 

まぁ肺の部分切除手術を30分でやってのける大学病院ですからね。チタンワイヤー2本ごとき、胸骨までメス入れた後ちょちょいのちょい、って感じでしょうか。麻酔から覚めて第一声、「もう終わったんですか⁉︎」と叫んでしまいました。でもよくよく考えたら、意識が飛んでるから速かったかどうかなんて知らないはずなんですけどね、笑

 

 

 今日は、手術の翌日でしたが、出席点を求めて一限から大学に行きました。割と調子よく講義を聞き流し、友達と学食を食べてから、今日は午後休だったので家に帰りました。洗面所で手を洗って、...

 

 あれ?

 

 何か服濡れてない⁇

 

 

あああああああああ

 

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 パシャリ。

 

どうしたらいいか分からん時って、取り敢えずツイッターで呟くか写真撮るかしちゃいますよね。両方しました。

 

 

 この時点でガーゼは血まみれ、服は真っ赤っかです。 

 

 どないすんねん、家に誰もおらんし...

 救急車呼ぼかな...

 でも入院患者やしややこしいで...

 救急車の到着平均時間は9分... ほんで到着後に京大病院に送ってくれって言うんか... タクシーやあるまいし... そんなに待てへんし...

 

 あ、タクシー呼ぼかな... いやでも、もしタクシーの白いシート血で染まったら賠償えらいことになるな... まず乗せてくれへんやろ... 運ちゃんに救急車呼ばれるのがオチや...

 

 

 こういう時って、人間、割と冷静に頭が働くんですよね。

 

 

 

 

 ( ・∇・)!!   せや!

 

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自分の車があるやんけ!!

 

 

 ということで血まみれのまま、シートにタオルを敷いてエンジンを掛け、いざ出発!こういうとき、やっぱりスポーツカーで良かったなと思います。速い速い。病院まで血まみれのままぶっ飛ばします。排気音が甲高く唸る。ハリウッド映画さながら。気分はジェイソン・ステイサムです。僕も彼もハゲているので似ています。

 

 

 ということで10分ちょっとで病院に着きました。やっぱり正しかった。

 

 血まみれの部分を隠しながら、病棟まで駆け上がりました。予め病院には電話していたので、主治医と担当医と看護師数名が待機してくれていました。

 

 

 助かった〜

看護師さんも流石に驚いていました。

処置室も血まみれです。ジーンズやパンツまで血に染まりました。

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 今日は流石に病院に泊まらんとあかんかな、と思ったら「じゃあ帰ってもいいよ」と言われました。何やねん。というわけで今は家に帰って血まみれのシャツを洗濯しています。

 

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今日はもう何でもええわ、ユニクロの黒Tシャツと黒のエアリズム着ていったろ!と判断した今朝の自分の頭をしこたま撫でて褒めてやりたいですね。高い服着てなくて良かった良かった。

 

明日は、今日のことに懲りずに大学にちゃんと行きます。もし講義中に出血しても救急車は呼ばないでくださいね。9分もあったら病院に歩いて行けますから。笑

 

ではおやすみなさい。

 

2度目の手術

 

 今日は久々に病院で夜を過ごすことになり、暇なのでブログを更新します。笑

 最近サボり気味ですみません。この前長らく更新していなかったら、友人から「死んだかと思った」とか言われたので、気をつけます。

 

 

 あ、最近はどうしてるかというと、病院に泊まらずに家に帰ってます。ベッドは普通に病室に置いてもらってますが、1週間くらい寝てないのでシーツがとても綺麗です。勿体ないから、大学で線形代数なんか受けずに寝に来ようかな。

 

 

 先日、手術の結果を伝えられました。腫瘍は完全切除に至ったので、どうやら追加の抗がん剤治療は必要ない、いわゆる「寛解」となったようです。めでたし。

 

 

 今は毎朝病院に寄って、胸の手術の傷の治療をしてもらって、レントゲンを撮ったりしてから、大学に行っています。傷、と言っても、直径2cm、深さ1cmくらいで肉がえぐれているだけで、別に骨は見えてないので大したことありません。大したことないので写真を載せようかと思ったのですが、やっぱりやめておきます。

 

 

 どうして通院にならないのかというと、通院にすると外来診療になるからいちいち面倒くさい、という大人の都合です。

 

 

 そうそう、大学の中に病院があると楽だよね、みたいに思われがちですが逆ですよ。確かに、病室から講義室まで3分で行けるのは楽っちゃ楽です。ただ、僕は模範的京大生なので大学によく遅刻しちゃうんですが、何せ大学と病院が同じ場所にあるせいで、病院にも遅刻してしまう身体になってしまいました。看護師のみなさんすみません。改めます。

 

 

 

 ところで、今日は珍しく講義中に病院から電話がかかってきて、すぐに来いと呼び戻されました。何だろうと思って病棟に行ってみると、「明日手術します」と言われました。

 

 

は?

 

 

 いや前日告知かーーーーい! 

 

 

 

 手術後の傷の治りが悪いのですが、どうやらそれは切断した胸骨を留めているチタンのワイヤーが傷口から見えていて、その上に新しい肉が付かないからだそうです。ということで、そのワイヤーを1本か2本抜く手術をします。抜糸くらいの感覚でいたら、どうやら手術室で全身麻酔の上でやるらしくて、そんなん前日にいきなり言うなよ〜って感じでした(笑)

 

 

 手術の説明やら何やらあったので、今日は病院と大学を3往復もする羽目になりました。

 

 

  まぁそんなに大した手術じゃないので、何も気にしてないです。勝手な予想ですが、明日はおそらく京大病院の今年1,2を争う短さの手術になると思います。手術室使うのが恐れ多いくらい。病室のベッド綺麗やしここでやったらいいんちゃうん。

 

 

 また終わったらちゃんと報告しますね。 全身麻酔を楽しみにして、今日はゆっくり寝ます。おやすみなさい。

 

 

Quality, Quantity

 

 カレーを食べていたら電話が鳴った。小学生の頃だった。相手は父だった。受話器を取った母は声がだんだん細くなり、しばらくして力なく受話器を戻した。祖父が死んだ。

 

 身内が亡くなるのは初めてのことだった。「死」に初めて遭遇した。人は死ぬ、という現実を初めて突きつけられた。

 

 伴侶を亡くした祖母は、叔母と二人で暮らすようになった。元気に生きていたけれど、でも今思えばどこか寂しそうだった。

 

 大学受験を半年後に控えた夏、祖母が京大病院に入院した。病棟は、まだこんなに綺麗じゃなかった。祖母はいつも笑っていた。お見舞いに行くと、こっちが逆に元気をもらうくらい有り余っていた。毎日でも行くべきだった。

 

 祖母の癌は治らなかった。地元の病院に転院して、ホスピスに入った。最期の1ヶ月は好きなものを食べていた。訃報が届いたのはセンター試験の2ヶ月前だった。それが二度目の「死」との遭遇であった。あれから1年と5ヶ月が過ぎた。

 

 

 

 先日、叔母が祖父母とお見舞いにきた。祖父母は写真の中で寄り添って笑っていた。祖母にとっては久しぶりの京大病院だったはずだ。ばあちゃん、病棟も綺麗になったでしょ、ずいぶん快適だよ、と心の中で呟いておいた。祖母は変わらず笑っていた。

 

 

 叔母から、祖母の形見をもらった。手につけてみると、思ったよりもサイズが大きかった。太りすぎだろ、足につけてたのかな、なんて思ってちょっと笑った。

 

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 1週間前、曾祖母が亡くなったという知らせが入った。109歳だったそうだ。大往生である。入院していて葬儀には行けなかったけれど、四十九日には行くつもりだ。90も歳が離れていたのか。そういえば、白寿のときにお祝いをした。あのときは祖父も祖母も元気だった。一家総出で宴を開いた。あれから10年経った。

 

 

 若い、という理由で他の患者さんから声をかけられることが多くなった。みんな口を揃えて「若いのに」という。辟易するわけではないけれど、どうもしっくりこない。若い人の病が、そして死が、みんな一様に不幸だというのか?長寿はいいことだけれど、別に僕自身は長生きしようと思わない。自分の人生を幸せに全うできれば、それが109歳であろうと19歳であろうとどうだっていい。僕は今幸せだから今死んだって構わないと思っている。

 

 

 僕は祖母がホスピスに入ったとき、もう癌と闘うことを諦めたんだと思っていた。でも今となっては、そうじゃなかったんだと分かる。彼女は幸せなまま死んだ。好きな食べ物と、好きな人達と、好きな地元の景色に囲まれて死んだ。そういう死に方ができれば、僕はそれでいい。長生きするに越したことはないけれど、長寿至上主義はやめにしないか。

 

 

 僕は今、もう死ねるくらい幸せだと思う。そしてその幸せがゆえに、まだ生きたい。いつ死んだっていいし、もっと生きたい。相反するように見えて、両者は互いに入り組んでいる。そこに葛藤するときもあるけれど、千羽鶴と一冊のメッセージノートが助けてくれる。

 

 明日、手術の結果が告げられる。それが良かれ悪かれ、僕はもう微動だにしない。祖母の形見を付けて、診察室に入ることにしよう。