或る闘病記

生きるって楽しい。

砂嵐 | 合掌

 

 昨日、ようやく退院しました。特に騒ぎ立てるほどでもなく、やるべき事務的なことだけを淡々とやって病院をあとにし、10分遅れで1限に出席しました。

 

 

 昨年の10月25日に風邪を引きました。19歳の誕生日の、ちょうど1週間後でした。あれが全ての始まりでした。39度の高熱が下がらなかったものの、しんどくもなかったので大学に休まず通い続けました。今思えばそれは正解でした。あのとき、講義室で風邪をうつされなかったり、風邪を家で療養して安静にしていたら、癌の発見も遅れていただろうし、多分死んでいました。幸か不幸か、とにかく単なる風邪をこじらせて肺炎になり、とある病院に入院しました。それが必然だったのかどうかなんて確かめようもありません。ちょうど7ヶ月前の出来事です。

 

 その病院を去ったのは、記憶が正しければ11月6日でした。真っ白になっていた肺は、1週間の点滴治療によって、CT画像を見る限りは綺麗に戻っていました。ただその去り際、もう名前も顔も忘れた主治医に、親と一緒に呼ばれました。その肺のモノクロ画像を見せながら、「ここね、ここです」と影を指されて京大病院の紹介状を書かれた時点では、まさか自分の身体が致死率の高い癌に蝕まれているなんて思いもしませんでした。

 

 それから3週間経ち、初めて京大病院を訪ねました。11月24日でした。ちょうど半年前です。あの日、癌を告げられた日、その時点から何か自分の中での世界線が変わったような気がしました。そしてそれからの半年の闘いというのは、重苦しくて長い長い闘いでした。

 

 

 癌というのは、早かれ遅かれ多くの人が通る道です。それが何年先、何十年先になるかは分かりませんが、何となく、僕は病気で死ぬなら癌で死ぬ気がします。あなたもわたしも、現在の統計から言えば、癌で死ぬ確率は非常に高いのです。

 

 この病気は、精神的にも肉体的にも、自分自身との闘いです。自身を攻撃する自分の細胞と闘い、自身の健康な細胞まで殺す薬剤の副作用に耐え、そうして死という概念と一対一で向き合う、そんな病気です。今振り返ってみて、どうやってこんな自分がその砂嵐を抜けてきたのか、それはよく分かりません。ただ、自分には幸いにも、たったの19年で数知れない素晴らしい人々と出会い、そして彼ら彼女らに何度も何度も支えていただきました。そしてこの病気になって知り合った方々も何十人もいて、やはり精神面で何度も助けていただきました。

 

 言葉にすると驚くほどに薄くなりますが、「人との出会いは大切にしなければならない、その存在はいつかきっと自分を支えてくれる」というのが、この半年間で身をもって感じられた結論です。死というのは孤独とともにあって、孤独は死を呼びます。人は支え合うことでしか生きられないのです。精神の死と身体の死は表裏一体で、だから古代ローマの時代から "sound mind in a sound body" が叫ばれてきたのかもしれません。

 

 

 ところで、僕はこの半年間で神とか仏とかを強く信じるようになりました。別にそれまで信じていなかったわけでもないのですが、ある種の信仰が精神的な支えになるのは間違いなく事実で、だからこそ太陽が地球の周りを回っていると言われた時代のさらに前から、ずっと宗教が存在しているのだと思います。科学がいくら発展しようと、人智の及ばない領域というのは確実に存在していて、そういう部分が人の生き死にを左右しているような気もします。

 

 京大病院には構内に全快地蔵という地蔵菩薩がひっそりと佇んでいて、ここには何度も手を合わせました。目を閉じて両手を合わせるという行為は、精神を極限まで落ち着かせてくれます。この瞬間にだけ、自分が本当に何を望んでいるかが分かる気がします。

  

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 退院の朝も手を合わせました。今望むことは、自分の周りの人々が幸せでいられるように、ということだけです。自分自身の将来の健康を願うのは、何だか居心地が悪くなるのであまりしません。取り敢えずは癌が寛解したのだし、何不自由なく今を生きているのだから、今にだけ感謝すればいいと思います。合掌。来年のことを言うと鬼が笑う。

 

 

 最後に、村上春樹著、「海辺のカフカ」の一節を。

 

 ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足取りを変える。そうすると、嵐も君に合わせるように足取りを変える。君はもう一度足取りを変える。すると嵐もまた同じように足取りを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰り返される。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な何かじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。だから君にできることといえば、あきらめてその嵐のなかにまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。

(中略)

そしてもちろん、君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。そのはげしい砂嵐を。でも形而上的であり象徴的でありながら、同時にそいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。暖かくて赤い血だ。君は両手にその血を受けるだろう。それは君の血であり、ほかの人たちの血でもある。

 そしてその砂嵐が終わったとき、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとうにそいつが去ってしまったのかどうかも確かじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏みいれたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。 

 

  癌という砂嵐に意味があるとするならば、それは「僕自身を変えた」ということだと思います。砂嵐に足を踏みいれた半年前の自分の文章を見ていると、本当に一生懸命拙いことを書いています。でも僕はもう、そういう人間ではありません。そしてこの半年間で、「それは君の血であり、ほかの人たちの血でもある。」ということをありありと感じられたのも、これからの自分の人生の中で大きな意味を持つと思います。砂嵐が去ったのかどうか、それは分かりませんが、少なくとも今は砂嵐は見えない。五月晴れの青空が地平線まで広がっています。再発や併発があるかどうかなんて、人智の及ぶ領域ではありません。人間にできることなんて、運命から逃げずに嵐に足を踏みいれ、目と耳をふさいで手を合わせるくらいなものなのです。

 

  そして僕にとっての癌というのは、決して "どこか遠くからやってきた無関係な何か" ではなかったのです。人生における嵐というのは、偶然というよりもむしろ必然的にやってきます。全てが偶然の様相を呈した必然なのです。そしてその嵐は、結果的に自身を形成する栄養素になるんです。嵐に傷ついて涙ばかり流していても、血は止めどなく流れます。つらいことに対して「耐えられない」という人は、たいてい気を強く持とうとするあまり、目も耳も閉じていません。でも砂嵐の中で物事を見極めたり聞き分けたりできる人間なんてごく一部しかいないのです。だからしっかり目と耳を塞ぐというのは、自分を見失わず、なおかつ自身の声と鼓動に耳をすますという点で、非常に重要だと思います。人間は誰しも、何かしらの砂嵐の渦中に定期的に置かれることになっているのです。その砂嵐がいつどこで始まり、いつどこで終わるかなんて、誰にも分かりません。確かに砂嵐には無慈悲な側面がありますが、ただひたすらに手を合わせ、一歩一歩進んでいけば、血が尽きるまでには止むようにできていると思うんです。そして目と耳を閉じるというのは自分を守る行為であって、決して逃げることではないと思います。

 

 砂嵐は鍛錬に似ています。トレーニングによって傷ついた筋肉が修復されることで肥大していくように、砂嵐によって傷ついた精神は修復と共に強く逞しくなるのです。重要なのは正しい方法で鍛錬をすることであって、泣いてばかりいては傷つくだけで、精神が肉離れをおこして再起不能になります。砂嵐は、精神を殺傷する力と精神を成長させる可能性を、同時に秘めているのです。その両者は紙一重に存在しています。

 

 ただ僕自身は、この半年間を振り返って、もう二度とこんな砂嵐には逢いたくないとも感じています。もはやそんな気力もないし、あんなものをどうやってくぐり抜けて今生きているのかも分かりません。一方で、この砂嵐は自分自身を大きく成長させてくれたのもやはり事実です。死というのは人生において避けては通れない題目であって、それに向き合うということは、すなわち生に向き合うことと同等な気がします。生きているということの尊さを、この砂嵐に教えてもらいました。それから、人との繋がりをひとつずつ、ゆっくりと時間をかけて再確認できました。だから、例えそれが偽善に聞こえようと、やっぱりこう思います。これは心の底から湧き出すように感じていることなんです。

 

 

癌になって、良かった。

 

 

昨年の12月8日に始めた闘病記も、一旦ピリオドを迎えることができました。この日をどれほど待ち侘びたことか。

 

本当に、ありがとうございました。

 

合掌。

支えていただいた全ての方々と、それから砂嵐に。

 

 

 

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