或る闘病記

生きるって楽しい。

リハビリ

 

 ひとつ大事なことを言うのを忘れていました。

 

 僕は今回の手術で何ひとつ失っていない、ということです。

 

 もともと、左肺の上葉と腕頭静脈、それに左横隔神経を切除する予定でした。しかし開胸してみてから、医師らが判断した結果、腫瘍切除の際に左肺上葉および腕頭静脈の切除は必要ない、という決定になったそうです。そして横隔神経は、一度切除しましたが、別の神経で繋ぎ合わせたので、なんと数週間すると繋がって信号が行くようになるんです。輸血もされていない。それから切られた筋肉も骨も、数ヶ月で繋がってきます。抜糸すれば、ほら、元どおり。傷跡だけ。人間の身体ってすごくない⁇

 それにしても、手術中のその場でこんな判断ができる医師ってやっぱりすごいなぁ。ただ腫瘍を取ればいいとかではなくて、患者の術後を最大限に考慮してくれたんです。もう雲の上の存在です。かっこいい。あと2年早かったら僕は間違いなく医学部を志望していました。あんな医師になりたかった。

 

 

 ところで、自分の肺機能ですが、こちらは格段に落ちてしまっていました。肺活量は今日は最高で1000mLでした(成人男性の平均は3000〜4000mL)。昨日なんか500mLでした。左の横隔神経がまだ繋がってないんですね。呼吸が浅い。

 そう、昨日からリハビリが始まったんです。朝食後すぐに、南病棟の地下の非常に綺麗で大きなリハビリテーションルームでやっています。若い人は見当たりません。

 

 車椅子で連れていってもらったあと、まずは理学療法士さんに体をほぐしてもらいます。僕の場合、胸骨正中切開とTMA、さらに3-4肋間開胸と呼ばれる、3種類の開胸方法を取っているので、特に大胸筋がズタズタです。

 

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この左側の大胸筋をしっかり動かさないと、傷が筋肉と癒着して手が上がらなくなるよ、と言われました。おそろしい。ちゃんとリハビリします。今日は手をバンザイする練習をしました。両手を組んだまま上げると、真上まで全く届かず驚きました。全然動かない。

 

体ほぐしのあと、昨日は歩行訓練をしましたが、今日はエアロバイクを漕がせてくれました。でも、始めるや否や、かなり低負荷でやっていたのにもかかわらず脈拍がどんどん上がっていきました。平常時は99%ほどあるサチュレーション(経皮的動脈血酸素飽和度 [SpO2])も90%くらいまで落ちてしまいました。要は酸欠です。やっぱりダメか...。

 

 漕ぎながら、ふと、高校の陸上部を思い出しました。あの頃は、みんなで声を張り上げながら、汗を流して回転数を極限まで上げて、エアロバイクを必死に漕いでいたんです。昨日のことのよう。僕の眼前には、夏の日のグランドが広がっていました。あれは輝いていて楽しかったな、なんてひとりで思っていました。それからふと今エアロバイクのハンドルを握る自分の手を見ると、太い点滴の針が刺さっていて、目の前には身体に繋がれた管が何本もあって、何だかもう情けなくなって、涙が溢れて止まりませんでした。こんなところで何やってんだろう俺。目を閉じてひたすら漕ぎ続けました。悔しかった。

 

 

 

 リハビリルームから帰るときに、同じ階に入院しているおじいさんも一緒でした。僕は車椅子、おじいさんは自力で歩いていたので、彼が看護師さんの代わりに僕の車椅子を押してくれました。これもリハビリじゃわ、とか言ってくれました。僕はただ押されるだけで、ありがとうございます、すごいなぁ、と思っていたのですが、だんだん自分がみすぼらしくなってきました。おじいさんが息を切らしながら車椅子を押してくれているのを見て、本当は立場逆だよなぁ、と思っていました。病室まで送ってくれると、彼は「頑張れよ!」と言って自分の病室に帰っていきました。何やってんだ俺。あの歳でもあれだけ必死になって生きてるんだ。俺ももっと頑張らないと。

 

 

 俺自身は何ひとつ失っていないんだから、時間はかかったとしても、元に戻るはずです。だから諦めてはいけない。

 

 あの夏の日に、きっと近づける。いつか、必ず。

 

 

 

頑張ろう。