或る闘病記

生きるって楽しい。

や、ヤバイところに来てしまった!

 

 

ハイサイまいど〜!🙋🏻‍♂️

 

 

どうも、成年革命家、不登校ブロガーのグッチです!

僕は大学1年生の時と大学2年生の時と大学3年生の時に不登校になり、現在大学4年生ですが大学には行ってません!去年の6月から1年近く講義に出ていないよ!

 

(大学2年生の時は普通にサボっただけです、後期は7単位しか取れませんでした)

 

まぁ冗談はこの辺にして。

 

 

(真面目な話が嫌な人はこの辺は読み飛ばしてください)

 

僕は入院という制限によって、ある意味では大学に行きたくても行けない「不登校」でした。そういう人だってたくさんいます。

 

 

 僕はこの経験を何かに活かせないかなと思って、この春から京大病院の院内学級に携わっています。長期入院していて、高校に行きたいけど行けない、みんなと勉強したいけどできない、そんな学生に何か夢や希望を持ってほしい、応援したい、と思ったんです。

 

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そしてそんな彼ら彼女らは、国内各地からやってきます。医師や看護師を目指したくなったと言う人も少なからずいます。

 

 

 

 不登校、彼らにとってそれは身体的な理由かもしれませんが、僕は精神的なものと本質は同じだと思っています。

 

 

 (楽しい学校生活を送りたいというのは誰もが理想とするところですよね、間違ってますか?)

 

 行きたいけど行けない、というのが不登校の本質であって、行きたくないから行かないというのは不登校の本質ではないんですよね。行けないんですよ、彼らは。行かないんじゃなくて。

 

 

 

(少年革命家ゆたぼんについては賛否両論あるけど僕は中立です)

(彼の言ってることはかなりおかしいけど小5に論理を通せと叩く方もおかしいでしょ)

Youtubeの動画、親父の書いたカンペ読んでるだけやん、10歳がブルーハーツとか歌うわけないやん、叩くなら親父を叩くべき)

(小学生を匿名のネットで嗤うなよ、何食ったらそんなことできるねん)

 

 

さて! 真面目なイントロはここまで!

 

ここからはいつも通りふざけます。

 

本日の内容はこちら!

入院初日の出来事を振り返ります。

3部構成!

___________________

第1部 

ここはまるで天国のようだ

___________________
第2部 

前言撤回、地獄

___________________
第3部 

限界

___________________

 

   

以上でお送りします!

入院初日のお話です!

 

 

 

________________________

第1部 
ここはまるで天国のようだ

________________________

 

 5月8日。

 兵庫医科大学病院に入院しました。

 

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 武庫川のほとりに立つこの病院は、僕の愛する阪神タイガースの本拠地甲子園までたったの

 

2駅!!!

 

 なんですよ。

 この地域、夜になると浜風に乗って六甲おろしの大合唱が聴こえてきたりするんですね〜。

 

 

 

良い。立地が非常に良い。

 

 夕暮れどきの武庫川は特に趣深いですね。

 

清少納言が現代の西宮に蘇ったら、間違いなく「春は六甲おろし、夏は六甲おろし、秋も六甲おろし、冬はドラフト」でしょうね。(こんな清少納言は嫌だ)

 

 

 

 病棟に案内されると、なんとなんと、さすが兵庫県

 

 美人の看護師さんの多いこと。京大病院と比べてここは天国かよ。

 

 

 

 

そうです、兵庫県といえば美人女優を輩出する都市!!  挙げ出すとキリがないよね。

 

 

                                    有村架純

                                   北川景子

                                   宇垣美里

                                   相武紗季

                                   戸田恵梨香

                                   能年玲奈

                                   松井玲奈

                                   平愛梨

                                   朝比奈彩

                                   藤原紀香

                                   上野樹里

                                   芦田愛菜

                                   あいみょん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あいみょんは違うか。

 

(こういうこと言うと古参ファンに殴られる)

(可愛さ路線で売り出してないって本人も言ってる)

 

 

 

 

とにかく、いい環境みたいです。

入院手続きを一通り済ませて、病棟へと向かいます。

 

 心が高ぶってきた、、、

 

 

僕の心臓のBPMは〜190になったぞ〜♫

 

 

 

________________________

第2部 
前言撤回、地獄

________________________

 

 

 

 

 

さて。

 

病棟に着き、待合で諸手続きを済ませます。

 

それから可愛い看護師さんに連れられ、いよいよ病室へ。

 

 

 もうテンション爆上げ⤴︎ ですよ。

 

 

 

どんな病室かな〜、、、

 

 

 

\ ガラガラ /

 

 

 

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ん???

 

 

 

 

(べ、べんき…?)

 

 

 (ちょっと待てよ、そんなわけないよな?)

 

 

(見間違いかもしれん)

 

 

(とりあえず一旦扉閉めよ)

 

 

(幻覚見えてるわ)

 

 

(深呼吸や深呼吸)

 

 

(そんなことあるわけないやん、ここ網走ちゃうで?)

 

 

(せやな、ここは網走じゃない、西宮や)

 

 

(…大丈夫)

 

 

(だいぶ落ち着いてきたぞ)

 

 

(もう一回見てみよ)

 

 

 

 

\ ガラガラ /

 

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 これは病室ですか?

 

                      -  いいえ、独房です。

 

 

           終

         制作・著作

         ━━━━━

          ⓃⒽⓀ

 

 

________________________

第3部 
限界

________________________

 

 

 便器のある病室に絶望した僕。

 

 

ものは見方による、と開き直ります。

 

「トイレがむき出しの部屋だと思うから、独房のように感じるのだ」

「ここで逆転の発想だ」

「大逆転の発想だ」

「12回裏2アウトフルベースから逆転サヨナラ満塁ホームランの発想だ」

 

 

 

「ここをベッド付きのトイレだ、と思えばいい」

 

「つまり僕は今、とても高級なトイレにいるのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

?????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…そんなわけないやろ!

 

 

 

 便器のある病室ってなんやねん。

 寝るときも食べるときもずっと便器見えてるやん。

 便器の近くで寝なあかんやん。

 トイレで飯食って寝るようなもんやん。

 

 

 

 ジーザス!!!!

 

 神様仏様〜😭

 

 

 

 *****

 

 衣食住のうち、もう希望を託せるのは「食」のみです。

 

 

AM 12:00。

 

「お食事で〜す」と看護助手さんが部屋へ運んできてくれます。

 

この病院でのQOLは君にかかっているんだ!

オープン!

 

 

 

 

 

 

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????????????

 

 

 

お好み焼き風卵焼き」 ?????

 

 

(西宮・尼崎エリアの郷土料理かな?)

 

 

ほ、ほな、

とりあえず、

 

いただきます…🙏

 

 

 

\ パクっ /

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴォエ!!!

まっっっっっず!!!!!

 

 

 

 

______________________________________________

お好み焼き風卵焼きは本当にまずかった。

お好み焼きにも卵焼きにも欠点はないはずなのに、それらが合わさると欠点だけの食べ物になるのだ。「欠点」を食べているのだと、そういう気持ちになるのだ。恐ろしい。

 

とにかく、この病院の食事の真相を確かめねばならないと僕は思った。

 

もう一心不乱に、僕は廊下へ出て夕方のメニューを確認しに行ったのだった、、、

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 夕方のメニューは、、、

 

 

 

 

ゔぁ、ゔぁ、ゔぁ、、、

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ゔぁーべきう??????

 

BBQBBQBBQBBBBBQQQQQQQQQ???????

 

 

 

【バーベキュー】

肉・魚介・野菜などを直火であぶり焼きにする野外料理                              

                                                        ー 広辞苑

 

 

  

(ナレーション)

このとき、僕は21歳6ヶ月にして、バーベキューというものの概念を根底から覆されたのであった。

 

 

【バーベキュー】

病院食のひとつ。トイレで食べる。                   

                                                  ー 兵庫医科大学

 

 

僕は慌てて部屋に戻り、ナースコールを押す。

看護師さんがやってくる。

 

 

「どうしましたか?」

 

 どうしたもこうしたもない。

ここ西宮国では、常識などというものは通用しないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません!  もう病院食全部止めてください!! 」

 

 

 

 

           終

         制作・著作

         ━━━━━

          ⓃⒽⓀ

 

 

 

 

 

 

 

________________________________________________

     あとがき

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そんなわけで、とんでもない入院生活が始まりました。

 

 病院食を止めてしまったので、今は親にご飯を持ってきてもらってます。とてもおいしいです(ワガママ)。

 

実は一昨日部屋を移動して、今はこんな部屋にいます。

 

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と、トイレがない!!

そして広い!!!!

 

 

さらに夜景が綺麗、冷凍冷蔵庫完備、テレビ見放題。

 

トイレ生活から脱出し、1泊1万円の病室にいるのです(税金で負担いただいてます、納税者の皆さんありがとう)

 

 

別に僕が文句を言ったとかではなくて、この病室でしか移植できないのです。結局、トイレ暮らしは3日間だけでした。(それで写真を撮り忘れたので絵を描きました)

 

 

今はほとんど不自由なく過ごしています。

ポケットWi-fiを飛ばし、Bluetoothスピーカーで音楽を流し、お菓子を食べながらMacBookをポチポチして過ごしています。そして夜はもちろんサンテレビで野球中継を見るのです。(そろそろ院試勉強せんとヤバイな…)

 

 

 

というわけで、本日の内容はここまで!

クスッと笑ってもらえたら嬉しいです!

 

おやすみなさい!!!!!

 

 

 

令和の幕開けとともに

 

 

 

 

久しぶりの更新です。

 

一昨日より兵庫医科大学病院に入院しています。

 

 

どうして? と思われる方も多いはず。

(会う人みんなに言われました)

ちゃんと説明しないといけないですよね、応援してもらってるのにね。

 

 

「え、再発したん?」 「なんで京大病院じゃないの?」 「元気そうやのに?」 

 

 

 いやぁ、紆余曲折あったんですよ。

 順を追って説明します。

 

 

僕が急性リンパ性白血病と診断され緊急入院したのは去年の6月でした。

 まずは抗がん剤で癌化した血液細胞をやっつけました。

これがいわゆる「寛解」というやつです。

 

 しかしこれだけではダメ、なぜなら血を入れ替えないと再発する可能性が極めて高いからです。

血を入れ替えるにはどうするか。

まずは自分の造血幹細胞を放射線等で破壊します。

白血球や赤血球を全て殺し、このままでは生きていけない危険な状態にまで持っていくのです。

 

それからドナーさんの造血幹細胞を移植します。

こうすることでドナーさんの血が僕の体内で作られていきます。

これが「骨髄移植」で、僕は去年の10月にこれを行い、元の血液型AB型からドナーさんの血液型O型に生まれ変わるはずでした。

 

 

 

 

…はずでした。

 

 

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    ?型 Rh+ 【確】

 

 

 これ実は病院の電子カルテなんです。

 そう、僕は血液型が不明な人間になってしまったのです。

 

 

 

医学的な話をすると、このような状態を「キメリズム」と呼びます。要するに僕はいまAB型とO型の血液キメラです。

 

だいたい

 

AB(レシピエント) :    O(ドナー)

                30%           :          70%

 

ぐらいになっています。

(本来は0:100にならないといけない)

 

つまり端的に結論を述べると

「昨年10月に行った移植は失敗した」

ということです。

 

 

 このまま放っておくと、おそらく30%残ってしまった「強いレシピエント(=患者)の細胞」から、癌化した細胞が出てきて再発に至るに違いない。

 

 

これが京大病院血液内科でのカンファレンスの結論でした(厳密には若干違いますが)。

 

 

そこで僕に与えられた選択肢は2つ。

 

・ もう一度移植をしますか?

・ 再発まで待ちますか?

 

 悩み抜いた末、前者を選択したのです。

 

 じゃあ京大病院でまた同じように移植すればいいじゃん? と思われると思いますが、同じ移植をもう一度する場合、次のような問題点があります。

 

 

・半年あけずに再移植をする、しかも通常レジメンで行うのは身体へのダメージがデカすぎる

・ドナーを探すのに時間がかかり、その間に再発する可能性がある

・そもそも一度失敗している移植をもう一度やってみて成功する保証がないし、賭けにでるにはリスクが大きい

 

 

というわけで、それら全てがクリアされた「特別な移植」をする必要があったのです。

 

 

それが

ハプロ移植。

 

 

 そしてそれをやるには、兵庫医大に行く必要があったのです。

 

 (いま僕は兵庫医大の「造血幹細胞移植センター」という特殊な病棟に入院していて、ここでは基本的に他院の紹介での重症患者のみを扱っています)

 

 

この移植については、長くなるのでまた追々話します。

 

 

 

さて。

 

どうして元の自分の血が残っちゃったの?

 

放射線で殺したんじゃないの?

 

と思いますよね、僕もそう思っています。

 

 医師もはっきりとは分からないみたいです。仮定の話しかできない、と。(これもまた追々話します)

 

 

というわけで、5月8日から兵庫医大に入院。

 

 これから2週間は検査を行い、5月の最終週あたりで移植に伴う前処置、6月1周目に骨髄移植という流れになるかと思います。

 

 新らしい時代、令和。

 しっかり生き抜こう。

 

 

 

 【追記】

 

ここからは脱線! 余談!!

 

 

そういえば前回のブログで半分死にながらTOEIC受けてきた話を書きましたが、結果はまた返ってきたら報告するよ〜と言いつつ恥ずかしくて書けてませんでしたね。

 

 

fight.hatenablog.jp

 

 

 言ってしまった以上ここで報告させていただきます。

 

 

 先に言い訳しときますが

 

・体温40℃

・肺炎

・もちろん勉強もままならず

 

の状態で受けたんでね、そこんとこお手柔らかにお願いします。

 

 

そんな僕の第239回TOEIC L&R テストの結果は、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

こちら! ドン!

 

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いや、意外に良くてわろた。

 

 

まぁリスニングの時間にリーディングを解くとかいう、絶対禁忌のやっちゃいけないことやってるんですけどね、ご愛嬌ご愛嬌。

 

 

 

ちなみに

 

実は入院の直前にもうひとつ試験を受けていました。

 

「国家公務員総合職採用試験」

です。

 

 

 その一次試験の合格発表が今日ありました!!

 

 

 というわけで合否をお伝えします!

 

 人事院のHPを開き、合格発表のページから自分の受験番号を探します、、、

 

 

 

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133人中、受かったのは50人、落ちたのは83人。

 

 

 

…あれ?

俺の受験番号、何番やっけ????

 

 

 

 

 受験票を見れば分かりますが、そんなもん京都に置いてきました。

 

 

どどどどどどどうすれば、、、、????

 

 

 

 

 

 

 

 

 (せや、そう言えば友達が前の席に座ってたぞ!!!)

(前の席やし受験番号も連番やろ!!)

 

 

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(笑)

 

 

 

というわけで、合格してたらしいです。

 

(絶対落ちたと思った)

(こんな奴でも官僚になれる日本、まじでヤバい)

 

まぁ一次試験なんでね。

 

ちなみに友達も受かってました。

めでたしめでたし。

 

(二次試験は物理的に受けられないので棄権します!また来年!)

(ちなみにTOEIC730点以上で二次の英語試験は満点扱いらしいです! やったね)

 

 よし!なんかよく分からんけど!

 令和、幸先いいぞ!

 

 

 新時代の幕開け!

 

 

頑張って生き抜くぞ!!!!

 

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なんで、私が肺炎に?

 

 

お久しぶりです。

 

 

近況報告をしてくれと言われた気がしたのやります。

 

 

3月8日から11日まで、お泊りイベント「可愛い看護師さん達と一緒に春休みを過ごそう2019」に参加してきました。

 

 

嘘です。

 

検査入院でした。

入院とはいえ検査のために入院するだけです。特にどこかめちゃくちゃ悪いってわけでもないんですよ、検査がめんどくさいだけで。

 

今回受けた検査は、、、

 

 

気管支鏡検査!!!

 

 

何と肺の中に直径6mmくらいの管を入れちゃいます。口から。おえ〜〜〜。

 

 

なんでそんな検査をすることになったかというと、3/6にレントゲンを撮ったとき、肺が真っ白やったんですよね。ほら。

 

 

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正常画像と比較すると一目瞭然。

 

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いわゆる肺炎です。

おしまいおしまい。

はい、エンド。(肺炎だけにね)(やかましいわ)

 

 

移植後に、ドナーさん由来のリンパ球が皮膚や臓器を攻撃する(GVHD)のはよくあることなんですよ。そらドナーさんの血からしたら僕の身体全部敵ですからね。

 

実際のところ、咳き込むことはあったのですがまさかここまでとは、という感じでした。よくこんな身体で志賀高原(長野)に夜行バスでスキーに行ったよなぁって感じ。(志賀高原はめっちゃ楽しかったです)

 

 

 

 とにかく検査で、肺が真っ白になっていたので主治医に「はーい明日から(検査)入院ね」と言われたのです。まぁ入院といっても検査だけなので甘く見ていました。

 

 

 

翌日 3/7 入院。看護師さんに「久しぶり〜💕元気にしてた〜???」と熱い眼差しで迎えられ(社交辞令)、ワイワイ楽しく過ごしました。

 

(このブログが新聞とYahoo! に載ったのはみんな知ってて、めちゃくちゃ恥ずかしかったしこの記事も見られていると思うと変なこと書けないです、マジで)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

看護師さん見てるか〜????

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。

 

 

3/8 ついに気管支鏡検査。

まずは喉に霧吹きで麻酔をします。シュッ、シュッ、シュッて100回くらい。舌と喉の感覚がなくなっていき、唾も飲み込めなくなります。口の中いっぱいに新聞紙貼り付けられた感じ。

 

 

ここから本番。いよいよ気管支鏡を入れていきます。

 

 

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は?

太い太い太い。

しかも気管に入っていくわけで。

そこは物が通る道じゃないねん空気の通り道やねん💢💢💢💢💢

 

 

 

ゲェッホ、ゲェ〜 ゲェゲェゲホゲッホグェゲッホグェッホグェグェゲッホゲッホグェゲェ〜〜

 

 

口の中に新聞紙を詰められながら(比喩)、舌の奥をスプーンみたいなやつで強く抑えられ(強烈な吐き気)、さらに気管に物が入っていくゴソゴソした感覚、

 

 

さらに気管支内に麻酔薬を追加投入されます。気管支が死んでいく、、、

 

 

 

なんて日だ!

 

 

こんなことならそういう検査や言うといてくれよ!!!

 

 

大袈裟やろ!と思う人は「気管支鏡検査」と調べてみてください。候補の2番目に「気管支鏡検査 苦しい」が出てくるはずです。胃カメラとは訳が違うぜ、、、

 

(普通にしてても咳が出る状態なのに、φ 6mmの管なんか突っ込まれたらヤバイでしょ)

 

 

 というわけで、地獄の1時間でした。

(数多の検査をしてきましたが、もう二度とやりたくないと思った検査はこれが初めてです)

 

 

さて、病室に帰還。

 

 しんどい検査やったなぁ、と思いながら勉強に勤しみます。

 

勉強?

 

そうです。僕はとても真面目な京大生なので、春休みにも勉強をします。

 

というのも、TOEICが2日後に迫っていたのです。そして今夏の大学院入試1000点満点の中にTOEICのスコアが200点分入ります。

 

ヤベェ。

 

一体俺は明日退院してTOEICを受けられるのか?

どうなる俺の大学院入試!!!!

 

 

 

 

3/9 退院予定の日。

 

レミオロメン/3月9日を聴きながら体温を測ります。

 

(全然関係ないんですけど、3年前の3/9にこの曲を聴いて京大の合格発表のHPを開いたら受かっていて大泣きしたので、この曲は僕の大切な曲なんです)

 

いいですよね、歌詞が。

 

 

 

 

 

瞳を〜閉じれば〜?

 

 

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40.4℃ 。

SpO2 93% 、、、

酸素マスク装着。

 

絶対昨日の気管支鏡検査のせいやんけ💢💢

 

 

 

 

上手くはいかぬ〜 こともあるけれど〜

天を仰げばそれさえ〜 小さくて〜

 

 

 

                                     終

        制作・著作

        ━━━━━

         ⓃⒽⓀ

 

 

 

 

 

 

翌日、3月10日。

第238回 TOEIC 公開テスト実施日。

 

体温、少し下がって38℃。

SpO2 96%。

体調、最悪。

 

 

「先生、どうしてもTOEIC受けたいんですけど、、、」

 

「いいよ!」

 

 

 

「いいよ」??!?!?!

 

 

 京大卒の先生、凄く理解があるんです。

外出許可を貰います。試験は12:30から。

 

というわけで。

 

試験会場に到着して、とりあえず受けてきました。リスニングには自信があったはずなのに中国の空港にいる感じでした。リーディングは圏論の入門書くらい意味不明でした。結果はまた報告します(笑)

 

 

いや〜 色々あったなぁ、と。しかし何とかなるものです。肺炎でTOEIC、稀有な経験でした。

 

pacient(患者)だから pacient(勤勉)やし pacient(忍耐強い)んですよネ。

 

 

(我ながら英語を絡めて上手くまとめたゾ!!!!!!)

 

 

 

 

 

ちなみに、肺炎は正式には「間質性肺炎」といいます。ステロイドで治療すればすぐに良くなることが多いです。今はプレドニンを1日40mg服用しているので顔がパンパンマンです(ムーンフェイスといいます)、また詳しく話しますね。

 

結局、熱も下がり翌3/11には退院しました。

 

そして翌日から東京へ。

 

は?

 

まぁ予定していたので、退院して自由になっちゃったら行きますよね。鳥かごから出したインコに「じっとしとけ!」って言う方が無理ありますよ。僕は抗がん剤治療中に外出して河原町で酒を飲むような奴です。(実話)(めっちゃ怒られた)

 

いや、久しぶりの東京は楽しかったですよ。

 

渋谷、表参道、新宿歌舞伎町、六本木ヒルズ、国会議事堂、上野動物園、銀座、築地、飯田橋御茶ノ水、丸の内、etc... 3日間アクティブに遊んできました。(東大病院も見てきたけど、やっぱり京大病院の方がいいわ)(東大病院って年間1,000億円赤字らしいよ)(京大は300億円近い黒字で今年新棟が立つよ)

 

 

東京から帰ってきたその足でまた何食わぬ顔して病院に行きましたが、検査結果もOKでした。とりあえず一安心。主治医も笑顔笑顔。(東京の話をしたときはやや引きつっていました)

 

さてさて。

 

 昨日はグランフロント大阪に行きました。若年世代(AYA: adolescents and young adults) の癌患者さんとの交流会に初めて参加しました。めちゃくちゃ楽しかったし、同世代との交流ができて本当にいい経験になったので、また後日詳しく報告します。楽しみにしておいてください!!!

 

 これから数ヶ月、様々な報告があると思います。またちょくちょく更新していきますので、今後ともよろしくお願いします。

 

 

 まだまだ闘いは続きます。(色々な意味で)

最近お会いした一部の方には報告しましたが、もう少しすればブログにも書けると思います。厳しい闘いです。

 

 

 

                                                  To be continued...

 

 

砂嵐 | ダンス

 

本日、退院しました。

全てが砂嵐のごとく過ぎ去った148日でした。

 

 

 

 

 この148日間、僕は死と向き合いながら、ひたすら生について考えていました。

どうして生きているのか。

あるいは、何の為に生きているのか。

そして、生きる意味とは何なのか。

 

 

 結論から言うと、何も分かりませんでした。どうして生きているのかは分かりません。何の為に生きているのかもよく分かりません。生きる意味なんて全く分かりません。もし模範解答が存在するのなら、僕の解答は白紙にでかでかとバツ印を付けられるのでしょう。

 

 

 

 

 

 一昨年癌になったときも、同じことを考え続けました。自分なりに突き詰めて考えた挙句、ブログに「生きる意味なんてものはない」と書きました。人生は意味を付与できるほど単純明解なものではない、という文脈で。

 

 

 

 

 あれから暫くして、友人から手紙を貰いました。そこには「生きる意味はあると思います」と書かれていました。僕の文脈を理解してくれていたのかは分かりません。ただ、生きることについて考えるとき、何となくあの言葉が魚の小骨のように引っかかるのです。

 

 

 

 7月2日の深夜に発作を起こしたとき、経験の無い痛みが全身を襲って、僕はベッドの上で過呼吸になりながらもがき苦しみました。のたうちまわり、這いずりまわり、看護師らに押さえつけられました。モルヒネモルヒネ、と何度も叫びました。

 

 

 

 あの瞬間、僕にとっての「生きること」は、苦痛以外の何物でもありませんでした。

 

 

 

 もしかすると、あの痛みを経験したことのある人間にしか分からないことがあるのかもしれません。死の恐怖と、生の意味。ただ、どれだけ割り切ろうとしたって、「生きる意味はあると思います」が視界の端で小刻みに揺れるのです。

 

 

 

 

 「生きなければならない」というパラドックスを生きることがどれほど苦しいものか。僕はもう思い出したくもありません。

 

 

 

 

 

 生きる上で本当に大事なのは生きる意味を考えることではなくて、生きることそのものに集中することなのです。なぜなら、そうしなければ僕達は、人生のある点でパラドックスの上を生きてしまうことになるからです。生きる意味を持つことは諸刃の剣で、ある点では生きることを後押しする一方で、ある点では進行方向を閉ざしさえするのです。まるで、水を与えすぎた植物が枯れてしまうかのように。

 

 

 考えてはいけない、というのもひとつの考え方だと思います。たとえ意味がどうであれ、僕達は砂嵐を乗り越えなくてはならないのです。人生に与えられた選択肢はただ一つ、「生きること」だけなのだから。

 

 

 

「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。

(中略)

あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」

僕は目を上げて、また壁の上の影をしばらく見つめた。
「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

 

                         ー  村上春樹ダンス・ダンス・ダンス

 

 

 

 確かに疲れて、そして怯えている。それでも、鼓動の音が聞こえるうちは、足を止めちゃいけないんです。人は「立ち止まって考えろ」なんて平気な顔して言うけれど、そんなことしたら全てが冷え切ってしまいます。何があろうとただ無心になって踊り続けること、それが「生きる」という行為なんです。

 

 

 

 あの友人の手紙のように、もしかすると踊ることには多少なり意味があるのかもしれません。ただ、それを考えはじめると、僕はどうしても足が止まってしまうんです。

 

 

 

 生きることの意味は、きっと分からなくていいんだと思います。そもそもこの年齢で分かってしまう方が、ある意味分かっていないのかもしれません。意味というものは大抵全てが終わってから後付けされるものであって、道中来た方向を指差して知るものではないのです。死ぬ間際に初めて会得して、ようやく意味たりえるのだと思います。

 

 

 この148日間で分かったのは、「とびっきりうまく踊ること」の重要性です。兎にも角にも生きようと努力することで、誰かが手を差し伸べてくれます。運命は理不尽であれ、世界はそんなに冷たくない。踊り続けるという行為そのものが、回り回って、結局は踊る原動力になるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 最後に、同じく村上春樹著、「海辺のカフカ」の一節を。

 

ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足取りを変える。そうすると、嵐も君に合わせるように足取りを変える。君はもう一度足取りを変える。すると嵐もまた同じように足取りを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰り返される。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係な何かじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。だから君にできることといえば、あきらめてその嵐のなかにまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。

(中略)

そしてもちろん、君はじっさいにそいつをくぐり抜けることになる。そのはげしい砂嵐を。形而上的で象徴的な砂嵐を。でも形而上的であり象徴的でありながら、同時にそいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。暖かくて赤い血だ。君は両手にその血を受けるだろう。それは君の血であり、ほかの人たちの血でもある。

 そしてその砂嵐が終わったとき、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。いやほんとうにそいつが去ってしまったのかどうかも確かじゃないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏みいれたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。 

 

 

 死神と踊る不吉なダンスのような、砂嵐。

 僕はどうやってそれを抜けることが出来たのか、あるいは抜け終えたのかどうかも、さっぱり分かりません。

 

 白血病を告げられたとき、僕はとにかく逃げたいと思いました。でも結局どこへ逃げようと、砂嵐は僕自身の問題であって、いつまでも執拗に付いてきました。

 

 

 運命というものは偶然の様相を呈した必然であって、「どこか遠くからやってきた無関係な何か」では決してないのです。だから運命から逃げることは不可能なんです。 「できることといえば、あきらめてその嵐のなかにまっすぐ足を踏みいれ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけ」、それだけしかないんです。

 

 

 

 もしも砂嵐が偶発的なものならば、僕はこれからも呑気に生きていけたと思います。でも実際にはそうではないんです。目に見えようと見えまいと、あらゆる物事には原因が存在しています。きっと癌細胞も、科学の手の届かないところで、何らかの因果によって発生しているんです。だから僕は砂嵐を抜けても、また砂嵐が再発するのではないかと、やはり怯えています。

 

 

 

 

 

それでも、踊り続けるしかないんです。

 

 

 

 

どんな砂嵐の中でも、そして砂嵐を抜けてからも、与えられた選択肢は「踊ること」、ただそれだけなんです。音楽の続く限り。

 

 

 

 砂嵐というのは局地的で、当事者の真上にだけ存在しています。当事者以外の人間は砂嵐の中には入れません。蚊帳の外で、じっと見守るだけ。当たり前のことですが、どれだけ傷付こうと血を流そうと、その痛みは物理的には誰とも分かち合うことが出来ないんです。物理的には。

 

 

 一方で、精神的には痛みを共有することができます。僕達人間は賢い生き物で、他人の痛みを想像することに長けているんです。「優」の字が憂える者の側に寄り添う人を表すのは、憂いを知る者こそ優しいからなのです。人には慈悲の心が備わっていて、砂嵐の外から渦中へ手を伸ばし支えてくれます。僕は、差し伸べられた数知れぬ手に導かれるようにして砂嵐を抜けました。

 

 

 そういう点で、僕は一人ではありませんでした。

 みんな優しかったんです。

 

 

 あるときには、何十人もの献血者が僕に血を分けてくれました。暖かくて、赤い血です。そして今、僕は名も知らぬドナーさんの血液型で生きています。

 

 

 「それは君の血であり、他の人達の血でもある」。

 

 

 これは比喩でも何でもなく、本当に僕の身に起こったことなのです。僕のために、僕だけのために、文字通り血の滲むほど尽力してくれた人々がいて、そうして今ここに生きることが出来ています。

 

 

 

 

 あの夏の日、僕は病室の窓から蒼い空を見上げて、もう本当に死ぬのだと思っていました。もっと生きたかった、当たり前に生きたかったと、何度も拳を握りしめては膝に打ち付けました。

 

 

 いま、嵐の後の澄んだ冬空を見上げて、あの日を懐かしくさえ思います。僕の手には、あの日と違う血が流れています。

 

 入院中に撮った写真を見返していると、入院して10日目の、七夕の短冊が出てきました。

 

「楽しい入院生活だったと、笑って振り返ることのできる、そんな入院生活になりますように」

 

 震える手で書いたあの日の願い事が、ようやく叶いました。僕は砂嵐の中を踊り続けてきたし、踊り続けたことによって音楽はまだ続いています。

 

 これからも、音楽の続く限りは、たとえどんな砂嵐の中であれ、抗いながら踊り続けようと思います。

 

 新しい血と共に。

 

 

 最後になりましたが、これまでこの闘病記を読んでくださり、陰ながら応援していただいたことに心から感謝しています。皆さんの温かい言葉に何度も救われました。

 

 

 本当に本当に、ありがとうございました。

 

 

 

 

血液型チェンジ!!

 

 

 

なんとなんと!

 

 

ついに!

 

 

血液型が!

 

 

変わりました!

 

 

👏 👏 👏 👏 👏

 

 

凄いですよね。人間って血液型変わるんですよ。造血幹細胞移植は血液型を変える唯一無二の方法なのです。

 

 

AB型 →  O型

 

になりました!!! (もちろんRh+)

 

 なぜかと言うと、ドナーさんの血液型がO型だからです。造血幹細胞を移植され、生着すると、ドナーさんと同じ血液が僕の身体の中で作られます。

 

 

凄いよね〜

理論では分かっていても、実際こうなると何とも言えない感じ。

人間の身体って本当に不思議です、、、

 

 

 

「お、これでお前も頑固こだわり天才肌野郎から自由奔放大雑把おちゃらけ社交派男子になるな!✌️」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

… なんて思ったあなたはバカです。相手にしません。

 

 

「え〜?💕 血液型変わっちゃったら性格まで変わっちゃうや〜〜ん💕」

 

 

 

 

 

ああああ!!!💢💢💢

 

 

そもそも脳は血液型を知らんし! 医学的にも証明されてないし! そんな血液型占いみたいなんしてるん日本人だけやし! ほんならRh血液型の違いはないんかい! ツッコミどころ多いねん! あんなんバーナム効果と確証バイアスの典型例やろがい! そもそも人間を4種類に分別できると思ってる時点で間違ってんねん!!!!!

 

 

ふぅ。

 

 反・血液型占い過激派を代表して申し上げました。血液型占い信じない派の皆さんには大変ご無礼いたしました。いやほんと、大体の人とは仲良くやっていきたいんですけどね、血液型で性格診断する人間とは相容れないです。僕の性格はしっかり変わっておりません、まだまだ頑固変人のままです。

 

 

 

というわけで。

いや〜、でもね、

これで飲み会で話すネタが増えました!

俺に血液型を聞いてくれ〜!!!

30分喋るから〜!!!!!

 

 

 

それはさておき。

気になりますよね。

「え、ある日起きたら突然血液型変わってるん? それともジワジワ変わっていくん?」

 

 

 

 

 

 

 

 正解は、「ジワジワ」です!

 

 

 

お、

ここでまた疑問が生まれます。

 

「ってことは、変わっていく途中の血液型って何型なん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は、「ガタガタ」です!

 

 

いや、しょーもないねん。

陣内智則のネタみたいなことすな!

 

でもガタガタなのは事実で、ある部分ではAB型、ある部分ではO型とかいう訳わからん状態になっています。

 

僕はいま、「俺の血液型 “ガタガタ” やで!」が本当の意味で使える唯一の人種なんです。許してください。AB × Oやけど、ABO型とか無いからさ、何型?って聞かれてもガタガタとしか言いようが無いじゃないですか。ねぇ。まだO型になりきれてないもん。

 

 

ところで、これまたある疑問が出てきますよね。こうなると。

え、出てこない?

いやいやいやいや。

“あれ” はどうするん?

ABの血球が減ってから、Oの血球が増える。

ということは、ある一定の期間は、どちらの血球も少ないということですよね。

血球が少ない時には、輸血が必要ですが、それに関する「ある疑問」が浮かんでくるはず。

ちょっと考えてみてください。

 

 

答えは         ↓↓スクロール↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は、、、

 

 

 

 

「え、輸血どっちの血液型でやるん?」

 

 

そうですよねそうですよね!!

 

 

 

 

 

 

輸血! どっちの血液型で輸血やるんさ!!

 

 

これ、本当に面白いんですよ。

実は、ドナーさんの血液型と、患者の血液型の組み合わせで変わってくるんです。

 

もちろん、ドナーと患者の血液型が一致していれば、問題なくその血液型で輸血を行えます。しかし今回は、ドナーさんがO型、移植前僕がAB型、そして移植後現在ガタガタ。一体どうする!?

 

 

それがこちらの表です。

 

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例えば、僕の場合「ドナーO : 患者AB」なので、上から8段目。この組み合わせの輸血は「赤血球O : 血小板AB」。

 

なんと! 血小板の輸血と赤血球の輸血とで、血液型が違うんです! 驚き!!!!

 

 

見てください!

血小板輸血はAB型で、

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赤血球輸血はO型。

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凄いですよね〜 不思議不思議。

移植直後だけの、特別な措置です。

 

 

 そして、もっと凄いのは、「ドナーA : 患者B」と「ドナーB : 患者A」の場合。赤血球の輸血がどちらとも関係のないO型になるんです。なんで? って話は抗原と抗体が絡んできてややこしいんですが(笑)

 

詳しく知りたい人だけ下の表を見てね。

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そもそも、どうして血液型の異なる人同士で造血幹細胞移植ができるのだと思いますか?

 

 

 これは、造血幹細胞というのが「まだ成長していない細胞」だからなのです。

 

 そもそも、血液型というのは「抗原」や「抗体」の有無で決まっています。「抗原」は赤血球の表面に存在し、「抗体」は血漿に存在しています。

 

 そして、赤血球の表面にA抗原があるとA型、B抗原があるとB型、AとB両方の抗原があるとAB型、どちらの抗原もないとO型、というように分類されます。

 

 

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 ところが、A抗原はA抗体と、B抗原はB抗体と反応し、赤血球が固まってしまう、という性質を持っています。これが、原則同じ血液型でしか輸血できない理由です。

 

 

 

ここでよく聞く「O型は誰にでも輸血できる」ですが、図のようにO型は赤血球の抗原を持たないからです。

 

ここまでちゃんと理解した人は、「え、でもO型はA抗体とB抗体両方持ってるから、結局他の血液型と反応するんじゃないの?」と思っているはず。

 

 ところがどっこい。実はO型の輸血をするということは、O型の血漿中に存在する抗体濃度を薄める(希釈する)ということなので、その心配はないのです。つまり、「少量の輸血ならO型は万能」が正しいんですよね。

 

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少量の輸血だと、抗体は十分に薄まるのです。

 

ところが、上図のようにA型→O型に輸血しようとすると、A型の持つB抗体は薄まるものの、A型の持つA抗原とO型の持つA抗体(濃い濃度で存在)反応してしまうんですね。

 

 

ためになる〜

(実は、これがさっきの難しい表に書かれていた内容です)

 

 

あ、全然余談なんですが、人間の細胞の数って知ってますか?

 

 

正解は、、、

 

 

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60兆!!!!

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って答えた奴は残念でした〜!!

あなたの医学知識はブルゾンちえみレベルでーーーーす!!!!

知ったかぶりしやがってばーーーーーか!!!!

 

 

 

正解は、、、

 

 

37兆個。

 

 

え、60兆じゃないの?と思ったあなたに説明するのも面倒くさいので「 細胞   37兆 」でググってください。

 

 

そうです。人間ひとりの持つ細胞の数は37兆個なんです。

どうして急にこんな話をしたのかと言うと、何と何と、驚くことにそのうち27兆個が赤血球なんだそうです。

これは凄い、、、

 

 

 では話を戻しますね。

 

 どうして異なる血液型同士で造血幹細胞移植ができるのかと言うと、造血幹細胞はまだ成長する前の細胞なので、「抗原をまだ持っていない」からなのです。なるほど。理解できました?

 

 じゃあ、なんでHLA(白血球の血液型)は合わせないといけないの?と思う方も多いと思いますが、これについては生存率が関係しています。もちろん白血球の血液型を合わせなくても移植は可能ですが、合わなければ合わないほど酷いGVHDが起こりやすく、生存率が下がるのです。(ABO血液型は合おうが合うまいが生存率は変わらない)

 

 

 と、今日は血液型の難しい話でした。

 

 ここまで読んでくれたのにまだ血液型占いとか信じてるやつはしばきます。マジで。バーナム効果も確証バイアスも知らんの?って感じだZE☆

 

 

日本や韓国などが特殊なだけで、海外では他人の血液型を聞く習慣すらないそうですよ!!医師でもないのに何で聞くの?と変な顔されます!!!

 

 

 まぁなんでこんなに血液型占いが嫌いかと言うとですね、そもそも「血液型判断は人種差別を肯定するために生まれた」という歴史があるからです。知らなかった?

 

 

 1910年代、ドイツの研究者デュンゲルンは、ヒトと動物の血液型を調べて以下のような説を提唱しました。

 

「東洋人は白人よりもB型が多い。チンパンジー以外の動物にはB型が多い。したがって東洋人は白人よりも劣り、動物に近い」

 

 

これは酷いでしょ。しかし実際には、この研究を発端に、血液型による性格判断というものが生まれていったのです。大袈裟かもしれないですが、血液型占いは人種差別の延長線上にあるんです。

 

 

 ちなみに、血液型で相手をステレオタイプに当てはめて不快にさせる行為のことをブラハラ(ブラッドタイプ・ハラスメント)と呼ぶそうです。気を付けようね。

 

 

 

 

(医学的な話をすると、脳細胞と赤血球は触れ合わないので、脳は血液型を知らないと言われています)

 

 

 

 

 はい。

この辺にしとこ(笑)

 

 

 

 体調は、最近随分と良くなってきました。ドナーさんの細胞もしっかり生着して、造血が始まってます。新しい血。これから楽しみですね〜。

 

 

 

 

 今月中に退院するぞ〜!!!

 

 ではでは。おやすみなさい!!

 

 

 

骨髄移植の “ウラ側”

 

 こんばんは!

 今日無菌室から出られました!今は通常個室でのんびりしてます。いちばん端っこの部屋なので景色がいいよ〜。

 

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 これがどこだか分かったあなたは京大生ですね!同士!!

 

 

 さてさて。

 

 本日は骨髄移植について復習してから、「骨髄移植の “ウラ側” 」について、雑学みたいなことを延々と書いていきたいと思います!!(ちなみに4,000字を超えてしまったので、書き切れなかった分は明日に回します! お楽しみに!!)

 

 

 

今日の 「 “ウラ側” 」は3本立て!!

 

 

1. 参加してる臨床研究について教えて!

 

 

2. 骨髄って誰がどうやって運ぶの?

 

 

3. ドナーさんってどんなことするの? ドナーになるには?

 

 

 

 どれも気になりますね〜 気にならない?笑

 

 

 ではでは。

 まず骨髄移植について復習ですね。

 

 骨髄移植は、造血幹細胞移植のひとつの方法です。骨髄に存在する血の元、「造血幹細胞」を、ドナーさんから採取して患者の静脈に注入するというものです。至ってシンプル。

 

 

 患者に注入された造血幹細胞は、その後血液に乗って全身に広がっていきます。そして身体中を巡る間に、肺や肝臓、脾臓などの臓器にその多くを捉えられてしまうのですが、一部は骨髄にまで到達します。骨髄には「ニッチ」と呼ばれる、造血幹細胞が過ごしやすい微小空間が各所に存在していて、造血幹細胞がそこに落ち着き、造血を開始すると「生着」と呼ばれます。この生着までには、およそ3週間かかります。

 

 

 

 僕はようやく生着しました!!

 細胞よくやった!! おめでとう!!!!

 

 

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 で、ニッチのイメージはこんな感じです。ニッチについては医学生すら知らないと思います。現在急速に研究が進んでいる、骨髄の中の「微小環境」です。実はこのニッチの中で、造血幹細胞は眠るのです。

 

 

 

 

 

 細胞が眠る?

 

 

 

 

  

そうです。ニッチの中の造血幹細胞は、細胞分裂したりしないように保護されて完全に眠らされます。なぜならば、造血幹細胞というのは非常に数が限られているため、ちゃんと保存しておく機構が必要だからです。そして、必要な時に起こされ、2つに分裂します。

 

 

 分裂した造血幹細胞のうち、片方は様々な血球に分化していきます。分裂、分裂、また分裂を繰り返して赤血球や白血球や血小板など、ひとつの細胞からいくつもの血球になるのです。

 

 一方、もう片方の造血幹細胞は、また眠らされます。そうすることで造血幹細胞の数が減らないようにしているのです。これを「自己複製能」と言います。

 

これ以上は研究の領域になるのでやめておきますね!

 

 

 

では今から、骨髄移植の「ウラ側」について、いくつか話していこうと思います。

 

 

 

 

まずはこちら!

 

参加してる臨床研究について教えて!

 

 

 

はい、教えてあげましょう。

 

参加してる臨床研究は、事業や調査も含めると全部で7つです。

 

 

 

 

な、7つ!!!!

 

 

 

結構多くないですか?笑

 

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これが、その同意書やら説明文書やらです。長いものだと数十ページに及びます。

 

 

 

ひとつずつ、簡単に説明していきますね。

 

まずは単純な事業と調査から。

 

1. 造血幹細胞移植医療の全国調査

 

 これは、移植後の年齢別・性別・治療法別の再発率や生存率等を調査するものです。

 

2. 生体資料の保管と将来の研究利用

 

 僕から採取された骨髄液などのあらゆる生体資料は、京都大学での研究に役立てられます。

 

 

3. 非血縁者間骨髄・末梢血幹細胞移植における検体保存事業

 

 これも上と同じ感じです。

 

 

 

 

次に、臨床研究です。

 

4. 若年男性のがん患者及び免疫疾患患者における妊孕性温存のための精子凍結保存

 

 大量の抗がん剤放射線を浴びると、精子卵子は死んで、一生作れなくなる場合が多いです。そのため、治療前に保存します。保存した精子の状態の評価や、後々の体外受精による妊娠に関する評価などが、研究に利用されます。

 

 

5. 造血器疾患における遺伝子異常・エピジェネティクス異常の網羅的研究解析

 

 

 白血病の原因は、未だに解明されていません。この研究は、遺伝子異常のある患者の細胞を解析し、白血病をはじめとする造血器疾患の解明を進める研究です。

 

 

6. 造血器疾患治療後の常在細菌叢の変化と、合併症発症リスクとの関連解析

 

化学療法や放射線治療をした後、多くの腸内細菌が死に、バランスが乱れてしまいます。このバランスの乱れが副作用を及ぼすかどうか、関連性を研究するものです。

 

 

7. HLA1座不適合非血縁者間骨髄移植における従来型GVHD予防法と抗ヒト胸腺細胞免疫グロブリン併用GVHD予防法の無作為割付比較試験

 

 

これは、ある新薬を使うことで移植後に起きるGVHDを防げるかどうか、という研究です。

 

 

 注 : GVHD (graft-versus-host disease)

移植片対宿主病と呼ばれる、「移植片vs宿主」の病気。移植に伴う拒絶反応にも近いけれど、普通の臓器移植は「移植されてきたもの(移植片)患者(宿主)の白血球攻撃する」なのに対して、造血幹細胞移植では「移植されてきた細胞の白血球(移植片)患者(宿主)攻撃する」という違いがある。下図参照。

 

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 以上です!!

 

 えらい長々と書いてしまいました(笑)

 

これだけの臨床研究に参加してるんですよね。僕が病気になることで、今後新たに救われる命もあるんです。

 

 

割とガチで、京都大学ノーベル賞の手助けをしています(笑)

 

 

 

 次に!

 

骨髄って誰がどうやって運ぶの?

 

 

これ、知ってますか? 僕も今回初めて知りました。

 

じゃん!

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そうです。運ぶのは日本通運さん!民間委託なんですね!

 

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専用車で運びます。今回、搬送費は約6万円でした!!

 

6万円と言うと高いと思われるかもしれないですが、妥当です。トラック一台貸しきるのでね。しかも、ドナーさんが近畿圏内だったので、これでも安上がりな方でした。

 

 

 「ドナーさんが遠方の場合はどうするの?」

 

 

 これはいい質問ですね。もちろん飛行機を使います(笑)こうなると10万円コースになりますよね。空港では中身の検査があるそうで、血の入ったバッグを見ると空港関係者も流石に驚くとか。

 

 f:id:GUCCHi:20181107231807j:image

 

運ぶ際のルートは綿密に計画して代替ルートをいくつも用意するそうで、特に天候による通行止めや欠航には最大の注意が必要だそうです。

 

こんな運び屋の仕事、絶対面白いやん(笑)

 

 

 さてさて、最後に。

 

 

ドナーさんってどんなことするの? ドナーになるには?

 

 

 ドナーの登録は、各都道府県の保健所や献血ルームで行えます。京都だと四条、京都駅前、伏見大手筋に献血ルームがあります。

 

 

 

 献血に行った時に、受付で「ドナーの登録がしたいです」と言えば丁寧に教えてくれます。そして2mLの血液を取れば、おしまいです。登録だけならすぐに終わります。18歳〜54歳、体重40kg以上(男性45kg以上)なら誰でも大丈夫!! もちろん、献血せずドナー登録だけでもOK!

 

 

あとはドナー候補者に選ばれるのを待つだけです。といっても、実は登録者の4割が、ドナー候補に選ばれるのです。(つまり、それだけドナーが足りないということです)

 

 

 

 もしドナー候補者に選ばれたら。

 骨髄バンクから郵便物がきます。

「ドナー候補者に選ばれました」というやつです。

 

 

 患者1人につき、ドナー候補は5人までと決まっています。あなたはその5人の1人。断っても大丈夫。仕事があるかもしれないし、家庭だってあるかもしれない。だから、登録だけでいいんです。強制されることは絶対ありません。

 

 

 もし、OKなら。渡航歴などのアンケートに答え、返信用封筒で返信します。

 

すると数日後に骨髄移植コーディネーターから電話がかかってきます。返信内容の再確認と、本人・家族の意思確認、病歴などを聞かれます。

 

 そして、その2週間後くらいに近くの総合病院に出向きます。説明や問診を受け、採血されます。この採血結果が大丈夫なら、「一次合格」の電話があります。

 

一次合格後は早いです。5人のうちの合格者の中から、健康状態や年齢などを鑑みて、最も良いと思われる1人を患者さんの主治医が選定します。これで「二次合格」となるのです。するとすぐに、コーディネーターは「ドナーとして選ばれました」という電話をかけます。

 

 

しばらくして移植日が決まると、「最終同意面談」があります。本人とその家族、医師、コーディネーター、そして立会人も同席します。

 

 立会人が同席する理由は、「自らの意思かどうか、ドナーとなることを強制されていないか、を監視するため」です。徹底していますね。

 

 

 その後は、再び検査や自己血の採取(提供後に血が少なくなるため)を行います。激しい運動は控えるように言われます。アルコールは入院前日までは飲めます。

 

 

 そして入院の日。移植日の前日に入院し、3泊4日病院で過ごします。食事制限はありません。骨髄の採取は全身麻酔下で行うので、全く痛くないです。麻酔が切れても、1日ほど腰に違和感が残る程度で、至って普通です。もちろん個室でのvip扱いで、入院費は全額、提供される患者側の負担になります。

 

 

 

、、、と、こんな感じです! 

いかがでしょう?

ドナーになってみませんか?

 

 

いま、白血病で骨髄移植を待っている患者の数は、およそ3000人。

僕も、その1人でした。

 

僕はドナーを待つ間、不安でなりませんでした。見つからなかったらどうしよう、死ぬんじゃないか、そればかり考えていました。

 

 

 

3000人が、明日も生きたいと、必死にもがいています。この病棟にだって、何人もいます。高校生、大学生、幼い子供のいる父親。

 

 

 

彼らを救ってください。

ドナーが足りません。

本当に足りません。

 

 

 

 

せっかく健康に生まれたのだから、誰かの命、救ってみませんか?

 

あなたの血で、救える命があるんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間を救うのは、人間だ。

 

 

 

 

 

 

 

本日はこの辺で。

長文、最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。

 

ドナー登録、ぜひよろしくお願いします。

 

 

 

ソウル

 

2016年11月3日、文化の日

 

2年前の今日、愛車が納車された日、僕はある山奥の病院のベッドに横たわっていました。肺炎でした。

 

そして翌々日、16年11月5日。退院間際にナースステーションへの呼び出し。医師が放った重い一言。

 

 たった数秒。その有様を、僕はまだここに表現することは出来ません。

 

 

 

 

 

手渡された封筒の宛先は、京大病院でした。

 

 

 

 

 

あれから2年が経とうとしています。

僕の人生は、このたった730日の間に、すっかり変わってしまいました。

 

良い方にも、そして悪い方にも。

 

 

 

2016年11月24日。初めての京大病院。

肺のすぐ近く、縦隔の陰は、やはり癌でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

縦隔原発胚細胞腫瘍。

極めて珍しいものでした。

100万人に、1人。

 

 

 

 

 

 

 

それからの日々、入院までの14日間、僕は沢山の人に会い、そして沢山の情報を漁りました。前者は僕を勇気付け、後者は僕を戦慄させました。

 

しかし、夥しい情報の黒い海にも、いくつか道しるべとなる光のようなものが存在していました。

 

同じ胚細胞腫瘍に冒されながらも精一杯生き抜く人々のSNSや闘病記です。

 

そこには力強い言葉がありました。

 

浅野大義(たいぎ)君も、その一人です。

彼は2歳年上でした。僕は、自分と同じ胚細胞腫瘍と闘いながらも笑って生きる彼に心を打たれ、それからの日々、彼のTwitterを追いかけました。

 

 

彼は11月3日に、既に退院していました。その前日にはTwitterに「これからはキュウリ以外の野菜は食べます」なんてふざけて呟いていました。もう癌を克服していたのです。

 

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この人のように生きたい、同じ癌で、転移までして、それでも強く生きる彼のように自分自身も力強くありたい。

 

そう思いながら、来たるべき入院を待ちました。

 

 

そして12月8日。僕は入院しました。

病室から初雪を眺めながら、これが最後になるかもしれない、とにかく闘うしかない、と思いました。

 

 

ところが。同じく12月、浅野大義君も入院しました。

 

再々発でした。骨髄と肺への転移。

医師は「これが最後の入院になります」と言ったそうです。

 

 

 

それでも彼は強くあり続けました。高校時代、吹奏楽部に所属していた彼は、その月に行われた後輩達の定期演奏会を観に行ったそうです。これが最後になる、と感じながら。車椅子で、片目片耳の機能しないまま。

 

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市立船橋高校と言えば、イチフナの愛称で知られ、特にサッカー、バスケ、バレー、陸上、そして吹奏楽は全国大会常連校としてその名を轟かせています。吹奏楽部に至っては1日10時間部活することもあるとかで。

 

 浅野大義君はそんな強豪吹奏楽部の中でもリーダー的存在で、作曲も手がけるほどでした。彼が高校3年次に作曲した「市船ソウル」は、野球部の応援歌の大一番のチャンステーマとして、そして強豪サッカー部の応援ソングとして、昨今有名になりました。

 

 

 どうして有名になったのか。

 そこにはあるストーリーがありました。

 

 

音楽と出会い、音楽を愛し、そして癌になった一人の青年の物語。

 

 

 

 僕が入院して1ヶ月経ち、年が明けました。

 

 

 2017年1月12日。東京で初雪が降りました。交通網は少し乱れました。

 

 

 

 

 

 そんな日の夕刻。

 彼のベッドの周りには、3人の家族が膝を突き合わせていました。彼は昏睡状態でした。

 

 その日は満月でした。

 浅野大義君は、静かにこの世を去りました。

 ハタチ。

 

 

 

 

 

 

 彼の告別式は、その1週間後に行われました。式場が混んでいたようで、遅れてしまったそうです。しかし、その1週間が「奇跡の告別式」を作り上げることに繋がりました。

 

 

 

 以下、朝日新聞デジタルより。

 

「告別式で大義のために演奏しよう」

言い出したのは、先生だった。大義さんと同じ世代で部長だった河上優奈さん(21)が連絡を回し、演奏できる元部員を集めた。

式の2日前、100人以上が母校に集まった。静まりかえった夜の校舎で、優奈さんが言った。「最高のかたちで大義を送りだしたい」。初めて顔を見る先輩と後輩が音を合わせた。練習を終えて全員が学校を出たとき、日付は変わっていた。

告別式の日。楽器を持った喪服姿の人が葬祭場に次々とやってきた。店に頼みこんで休みをもらった美容師。1歳の子を親に預けてきたママ。演奏者は164人になった。

祭壇には、大義さんの遺影と愛用のトロンボーン。白いひつぎを囲んで楽器を構える教え子たちに、先生がタクトを振った。

魔女の宅急便、夜明け、手紙……。昔みんなで練習した思い出の曲を奏でていった。

最後は、あの応援曲。「大義が作った曲だ。いくぞー」。先生が言った。

明るいメロディーが葬祭場に響く。トランペットを吹く女性のほおを、涙が伝う。

タイギ、タイギ、タイギ――。

選手の名前のコールも、この日だけは作曲者に送られた。

会場には母校がつくった横断幕が掲げられた。

「浅野大義君 市船soulは永遠だ」

 

                         朝日新聞デジタル 2017年4月2日

 

 

ハタチの、ソウル。

 

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2018年の夏。彼の生き様は一冊の本になりました。

 

 

「俺の音楽は生き続ける」。

 

彼の作った曲「市船ソウル」だけは生き続け、今年も球場を沸かせています。

 

自分と同じ縦隔胚細胞腫瘍に侵され、亡くなった一人の青年の、心温まる物語。いくつも上の先輩から見知らぬ後輩まで164人、1日だけのブラスバンドが、彼の告別式で彼だけのために演奏した市船ソウル。

 

 

もし興味があれば、ご一読を。

 

 

最後に、報道ステーションでの特集を貼っておきます。

 

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