或る闘病記

生きるって楽しい。

バックのバック

 

「傷の治りがね...ちょっと...」

「うーん、バックかなぁ」

「持ち歩いてもらいましょうか」

 

 嫌な予感がしていたのですが、案の定でした。明日からバックになりました。医療機器の入ったバックを持ち歩く、その名もバック療法です。

 

 どんだけ適当な名付け方やねん、と思ったらBAG療法じゃなくてVAC®療法でした。

 

 VACとは、Vacuum Assisted Closure の略で、陰圧閉鎖療法と呼ばれています。

 

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 ここ10年ほどでメジャーになった療法で、深い傷に吸引をかけることで、肉を盛ることを目的としています。

 

僕の場合、傷口から白い胸骨が露出している程度には創部が深いので、割と時間がかかりそうです。この機械の保険適用期間は4週間ほどなので、それまでに治ればいいのですが...

 

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 ちなみに創部はこんな感じです。痛そうでしょ。実際はカラフルなのでもうちょっと気持ち悪いです。

 

 

 機械も割と高価なものらしく、調べてみたら15万円ほどする代物でした。本当は院内でのみの使用に限られるとのことですが、大学が近いということで、特例的に外出を認めていただきました。ということで、明日から医療機器を付けたまま講義に出ます。異常があればアラームが鳴るので、講義中に大きな音を出しても許してください。機械はこんなやつです。

 

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 明日からは、基本的に家には帰らず、大学と病院を往復する生活になりそうです。いつ傷が治ることやら。ちなみに、ある程度肉が盛ってきたら、その部分にお腹の皮膚を切り取って移植する手術を行う予定です。先は長いね。

 

 あーあゴールデンウィークの予定が...

 (´-ω-`)

 

血まみれ〜

 

 一昨日のブログでも報告したように、昨日、胸骨のワイヤーを抜去する手術をしました。結局、ワイヤーは2本抜きました。傷口を広げて抜くので、もともと深さ1cm、直径2cmだった傷口が深さ1cm、直径5cm程度に広がりました。流石に直視するとかなり赤い肉が露出していて痛々しいですが、別に痛くもかゆくも何ともなかったので、特に気にも留めませんでした。まさか、この傷があんなことになろうとは、この時は思いもしなかったわけで...

 

 

 全身麻酔は結構楽しみだったんですが、今回は割と麻酔に抵抗できました。注射開始から30〜40秒くらい意識がありました。麻酔科医は僕の心中を読み取ったのか、「はい、ちゃんと深呼吸してください」と言われました。身体がふわふわと浮くような感覚があって、気がつくと手術が終わっていました。

 

 

 そうそう、手術時間、何分だったと思いますか?割と早かったですよ。ちなみに、麻酔時間は2時間ほどでした。

 

 昨日の手術時間はですね、

 

 何と、

 

 

 

 

 

 

 

15分!  速い!!

 

 

 

 

 

まぁ肺の部分切除手術を30分でやってのける大学病院ですからね。チタンワイヤー2本ごとき、胸骨までメス入れた後ちょちょいのちょい、って感じでしょうか。麻酔から覚めて第一声、「もう終わったんですか⁉︎」と叫んでしまいました。でもよくよく考えたら、意識が飛んでるから速かったかどうかなんて知らないはずなんですけどね、笑

 

 

 今日は、手術の翌日でしたが、出席点を求めて一限から大学に行きました。割と調子よく講義を聞き流し、友達と学食を食べてから、今日は午後休だったので家に帰りました。洗面所で手を洗って、...

 

 あれ?

 

 何か服濡れてない⁇

 

 

あああああああああ

 

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 パシャリ。

 

どうしたらいいか分からん時って、取り敢えずツイッターで呟くか写真撮るかしちゃいますよね。両方しました。

 

 

 この時点でガーゼは血まみれ、服は真っ赤っかです。 

 

 どないすんねん、家に誰もおらんし...

 救急車呼ぼかな...

 でも入院患者やしややこしいで...

 救急車の到着平均時間は9分... ほんで到着後に京大病院に送ってくれって言うんか... タクシーやあるまいし... そんなに待てへんし...

 

 あ、タクシー呼ぼかな... いやでも、もしタクシーの白いシート血で染まったら賠償えらいことになるな... まず乗せてくれへんやろ... 運ちゃんに救急車呼ばれるのがオチや...

 

 

 こういう時って、人間、割と冷静に頭が働くんですよね。

 

 

 

 

 ( ・∇・)!!   せや!

 

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自分の車があるやんけ!!

 

 

 ということで血まみれのまま、シートにタオルを敷いてエンジンを掛け、いざ出発!こういうとき、やっぱりスポーツカーで良かったなと思います。速い速い。病院まで血まみれのままぶっ飛ばします。排気音が甲高く唸る。ハリウッド映画さながら。気分はジェイソン・ステイサムです。僕も彼もハゲているので似ています。

 

 

 ということで10分ちょっとで病院に着きました。やっぱり正しかった。

 

 血まみれの部分を隠しながら、病棟まで駆け上がりました。予め病院には電話していたので、主治医と担当医と看護師数名が待機してくれていました。

 

 

 助かった〜

看護師さんも流石に驚いていました。

処置室も血まみれです。ジーンズやパンツまで血に染まりました。

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 今日は流石に病院に泊まらんとあかんかな、と思ったら「じゃあ帰ってもいいよ」と言われました。何やねん。というわけで今は家に帰って血まみれのシャツを洗濯しています。

 

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今日はもう何でもええわ、ユニクロの黒Tシャツと黒のエアリズム着ていったろ!と判断した今朝の自分の頭をしこたま撫でて褒めてやりたいですね。高い服着てなくて良かった良かった。

 

明日は、今日のことに懲りずに大学にちゃんと行きます。もし講義中に出血しても救急車は呼ばないでくださいね。9分もあったら病院に歩いて行けますから。笑

 

ではおやすみなさい。

 

2度目の手術

 

 今日は久々に病院で夜を過ごすことになり、暇なのでブログを更新します。笑

 最近サボり気味ですみません。この前長らく更新していなかったら、友人から「死んだかと思った」とか言われたので、気をつけます。

 

 

 あ、最近はどうしてるかというと、病院に泊まらずに家に帰ってます。ベッドは普通に病室に置いてもらってますが、1週間くらい寝てないのでシーツがとても綺麗です。勿体ないから、大学で線形代数なんか受けずに寝に来ようかな。

 

 

 先日、手術の結果を伝えられました。腫瘍は完全切除に至ったので、どうやら追加の抗がん剤治療は必要ない、いわゆる「寛解」となったようです。めでたし。

 

 

 今は毎朝病院に寄って、胸の手術の傷の治療をしてもらって、レントゲンを撮ったりしてから、大学に行っています。傷、と言っても、直径2cm、深さ1cmくらいで肉がえぐれているだけで、別に骨は見えてないので大したことありません。大したことないので写真を載せようかと思ったのですが、やっぱりやめておきます。

 

 

 どうして通院にならないのかというと、通院にすると外来診療になるからいちいち面倒くさい、という大人の都合です。

 

 

 そうそう、大学の中に病院があると楽だよね、みたいに思われがちですが逆ですよ。確かに、病室から講義室まで3分で行けるのは楽っちゃ楽です。ただ、僕は模範的京大生なので大学によく遅刻しちゃうんですが、何せ大学と病院が同じ場所にあるせいで、病院にも遅刻してしまう身体になってしまいました。看護師のみなさんすみません。改めます。

 

 

 

 ところで、今日は珍しく講義中に病院から電話がかかってきて、すぐに来いと呼び戻されました。何だろうと思って病棟に行ってみると、「明日手術します」と言われました。

 

 

は?

 

 

 いや前日告知かーーーーい! 

 

 

 

 手術後の傷の治りが悪いのですが、どうやらそれは切断した胸骨を留めているチタンのワイヤーが傷口から見えていて、その上に新しい肉が付かないからだそうです。ということで、そのワイヤーを1本か2本抜く手術をします。抜糸くらいの感覚でいたら、どうやら手術室で全身麻酔の上でやるらしくて、そんなん前日にいきなり言うなよ〜って感じでした(笑)

 

 

 手術の説明やら何やらあったので、今日は病院と大学を3往復もする羽目になりました。

 

 

  まぁそんなに大した手術じゃないので、何も気にしてないです。勝手な予想ですが、明日はおそらく京大病院の今年1,2を争う短さの手術になると思います。手術室使うのが恐れ多いくらい。病室のベッド綺麗やしここでやったらいいんちゃうん。

 

 

 また終わったらちゃんと報告しますね。 全身麻酔を楽しみにして、今日はゆっくり寝ます。おやすみなさい。

 

 

Quality, Quantity

 

 カレーを食べていたら電話が鳴った。小学生の頃だった。相手は父だった。受話器を取った母は声がだんだん細くなり、しばらくして力なく受話器を戻した。祖父が死んだ。

 

 身内が亡くなるのは初めてのことだった。「死」に初めて遭遇した。人は死ぬ、という現実を初めて突きつけられた。

 

 伴侶を亡くした祖母は、叔母と二人で暮らすようになった。元気に生きていたけれど、でも今思えばどこか寂しそうだった。

 

 大学受験を半年後に控えた夏、祖母が京大病院に入院した。病棟は、まだこんなに綺麗じゃなかった。祖母はいつも笑っていた。お見舞いに行くと、こっちが逆に元気をもらうくらい有り余っていた。毎日でも行くべきだった。

 

 祖母の癌は治らなかった。地元の病院に転院して、ホスピスに入った。最期の1ヶ月は好きなものを食べていた。訃報が届いたのはセンター試験の2ヶ月前だった。それが二度目の「死」との遭遇であった。あれから1年と5ヶ月が過ぎた。

 

 

 

 先日、叔母が祖父母とお見舞いにきた。祖父母は写真の中で寄り添って笑っていた。祖母にとっては久しぶりの京大病院だったはずだ。ばあちゃん、病棟も綺麗になったでしょ、ずいぶん快適だよ、と心の中で呟いておいた。祖母は変わらず笑っていた。

 

 

 叔母から、祖母の形見をもらった。手につけてみると、思ったよりもサイズが大きかった。太りすぎだろ、足につけてたのかな、なんて思ってちょっと笑った。

 

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 1週間前、曾祖母が亡くなったという知らせが入った。109歳だったそうだ。大往生である。入院していて葬儀には行けなかったけれど、四十九日には行くつもりだ。90も歳が離れていたのか。そういえば、白寿のときにお祝いをした。あのときは祖父も祖母も元気だった。一家総出で宴を開いた。あれから10年経った。

 

 

 若い、という理由で他の患者さんから声をかけられることが多くなった。みんな口を揃えて「若いのに」という。辟易するわけではないけれど、どうもしっくりこない。若い人の病が、そして死が、みんな一様に不幸だというのか?長寿はいいことだけれど、別に僕自身は長生きしようと思わない。自分の人生を幸せに全うできれば、それが109歳であろうと19歳であろうとどうだっていい。僕は今幸せだから今死んだって構わないと思っている。

 

 

 僕は祖母がホスピスに入ったとき、もう癌と闘うことを諦めたんだと思っていた。でも今となっては、そうじゃなかったんだと分かる。彼女は幸せなまま死んだ。好きな食べ物と、好きな人達と、好きな地元の景色に囲まれて死んだ。そういう死に方ができれば、僕はそれでいい。長生きするに越したことはないけれど、長寿至上主義はやめにしないか。

 

 

 僕は今、もう死ねるくらい幸せだと思う。そしてその幸せがゆえに、まだ生きたい。いつ死んだっていいし、もっと生きたい。相反するように見えて、両者は互いに入り組んでいる。そこに葛藤するときもあるけれど、千羽鶴と一冊のメッセージノートが助けてくれる。

 

 明日、手術の結果が告げられる。それが良かれ悪かれ、僕はもう微動だにしない。祖母の形見を付けて、診察室に入ることにしよう。

 

 

 

再び

 

退院祝いでケーキを買ってもらいました。美味しかったです。あと通学用に使ってた自転車も壊れちゃったので、退院祝い名目でロードバイクを買ってもらうことになりました。ベッドから起き上がるのも、腹筋に力が入らず始めは5分くらいかかっていたのが、やっと1分くらいで出来るようになりました。

 

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 そんな感じで、あぁやっと日常の生活が戻ってきたな、と実感しかけていた矢先、退院3日後にして病院に舞い戻ってきてしまいました。緊急再入院です。何かの縁かもしれません。というか、そう思わないと、もうやってられないです(笑)

 

 

 実は退院した当日、その足で友達と遊びに行って、次の日も別の友達とカラオケ行って(肺活量なさすぎて驚くほど歌えへんかったけど)、浮かれて浮かれて、帰宅したら39度の熱が出ていました。ただの馬鹿です。はしゃぎすぎ。

 

 その日は歩けないくらいフラフラになりながら京大病院の救急外来に直行しました。全く世話のかかる奴ですね。

 

 一応インフルエンザの検査をしましたが陰性でした。レントゲンを撮ってみると、どうやら胸に水が溜まっている、ということでした。インフルエンザじゃないことが分かったので帰れと言われました。いや泊めてくれよ...。さすが日本屈指の総合病院、その程度では泊めてくれません。

 

 

 翌日起きると熱はすっかり下がっていましたが、流石にその日はベッドでゴロゴロして過ごしました。そして今日、もう一度来いと言われていたので京大病院の外来診療に来たわけです。ほぼ手ぶらで。

 

 採血と、レントゲンを撮ってから、診察してもらいました。そこで色々結果を見せられたあとに、再入院ですね、と言われて流石に面食らいました。は?って感じです。別に今そんなにしんどくもないのに入院せなあかんの⁇ いやそれやったら最初から泊めとかんかい!!!!!!!

 

 と言いたくなりましたが、自業自得かもしれませんね。おとなしく頷いておきました。

 

 

 あぁ友達との約束も全てキャンセルですよ(笑) 本当にごめんなさい...。

 

 

 

 

 ということで、胸水を抜くことになりました。またドレーンと呼ばれる管を付けることになります。前回は、手術後の全身麻酔中に管を挿入されたので痛くも痒くもなかったのですが、今回は、もう、察してください(笑)19年生きてきて、いっっっっちばん痛かったです。

 

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 左の脇腹の上の方にメスを入れられたあと、そこから直径15mmの太いチューブを肺の側方のやや上気味あたり、身体の奥深くに向かって10cmほどぐいぐいねじ込んでいくんですよ。思わず「あああああああああ!!!!」って何度も叫びました。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!次元が違うわ!!銃弾がゆっくりと貫通するような感覚でした。撃たれたことないけど。結局、30分くらいかかってようやく胸膜をぶち破りました。この瞬間が強烈に痛かったです。痛すぎて耳鳴りがしました。ドレーンは全身麻酔で入れるもんや、局所麻酔でやるもんやないよホンマに。

 

 

 管が刺さってる所の写真も載せようかなと思ったんですが、流石に痛々しいしグロテスクなのでやめておきますね。

 

 

 管を入れると2時間ほどでこれくらい胸水が出てきました。そりゃ肺も圧迫されるし熱とか咳も出るよね。

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 それにしても何だか一筋縄ではいかないみたいですね。大学の新学期にも間に合いそうにないです。ヘルプミー。

 

 何かこう上手くいかないときは人のせいにしたくなるものですよ。僕はそんなに人間が出来てないので、すぐ原因を外に探してしまいます。今回入院したのは「一回も病院行けへんかったんだけが心残りや!すまん!!出来れば2,3日くらいまた入院してくれ!!」とか冗談抜かしてたあいつのせいですね、きっと(笑)

 あいつには地を這ってでもお見舞いに来させます。

 

 

    (にしても俺そんなに日頃の行い悪いんやろか...。)

(´・ω・).。oO

 

 

 

 

 

始まり

 

 入院患者用のリストバンドを切ってもらった。久々に右腕に軽さが戻った気がした。

 

 長かった。数年間に思えた。今日、ようやくこの病院を去ることかできる。重い荷物をカートに乗せ、お世話になった医師と看護師さんと、それから親身にしていただいた他の患者さんのもとへ挨拶にまわって、病棟を後にした。

 

 癌を宣告されて130日が過ぎようとしていた。その間、何百人という人に支えられた。お見舞いにも、百人近い人に来ていただいた。独りだったら、今頃どうなっていたか分からない。この19年間で、僕は本当に数多くの素晴らしい人々と出会ってきたんだな、と確かめるように頷いた。過去の自分に感謝しなければ。

 

 

 

 手術の結果は4月10日に分かる。今は病理検査の結果待ちで、そのあと泌尿器科のカンファレンスで結果について話し合われる。もし摘出した腫瘍に悪性成分が残っていれば、再度入院となり、抗がん剤を打ち直す。そうならないことを祈るばかりだ。

 

 

 久々に家に帰ると、懐かしい匂いがした。ソファーになだれ込むように寝転がった。家だ。

 

 起き上がろうとすると、力が全く入らず起き上がれなかった。何とか手を使って体を起こして、自分の部屋に駆け上がろうとしたら、10段ちょっとの階段で息が切れた。俺も弱くなったもんだな、と苦笑いした。家で無意識のうちに10年以上続けてきた行為が、もはやできなくなっていた。

 

 

 

 それでも、今日から新しい生活が始まるという事実に変わりはない。母の作るご飯を噛み締めてゆっくりと味わいながら、自分が恵まれていることを実感する。傷が少し疼くたびに、生きていることを実感する。痛いくらいがちょうどいい。

 

 

 慌ただしく過ぎていた時間が、またゆったりと流れ始めた。

 

ただいま。

 

気分上々⤴︎⤴︎

 

 最近真面目な投稿が多いので、今日はネジを何本か緩めます。リラックスして読んでね。

 

 今日は嬉しいことがありました。

ついに身体についていた管という管が全て抜けたんです! 身軽じゃあ〜 (。-∀-)

 

 

管が抜けたということはついにシャワーを浴びれるということです!気持ち良かったぁ。

 

今まではどうしていたのかって?

流石に動けなかった時は看護師さんに拭いてもらってました。あんまり変なこと想像しないでください。ちなみに看護師さんは9割以上女性ですし、だいたい若いし、だいたい可愛いです。半分くらい20代です。マスクを着けているので、胸元の名札の顔写真の5割増しで可愛く見えます。ちなみに若い人が多い理由は、ベテランになると病棟から外来や手術部などに飛ばされるからです。へー。あと病棟が暖かいので、制服は年中半袖です。

 

 

 傷跡は、もうほとんど痛くありません。ベッドに寝転がる時にはまだ激痛が走りますが、それくらいです。大したことありません(ある)。

 

ちなみに傷跡は今こんな感じです。

 

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 運動しないので太ってきました... (嫌味でも自慢でもありません、本当に本当に。)

 研修医がレントゲンを見て、「入院当初と比べて胸筋だいぶ小さくなったねぇ」とか言われて泣きそうになってました。

 

 

 

 

いや、全盛期はこれくらいあったんですよ。ちなみにこれはただの自慢です。

 

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 ただテレビで晒したのは今でも黒歴史です。正月のお茶の間に見苦しいものを見せてしまった、と当時結構後悔してました。あと「悩みはモテないこと!山口くん」のテロップ流石に笑えへんからやめろや。

 

 

 

 あんまり夜のテンションで書くと痛々しいこと書いてしまいそうなんでこの辺でやめときます。病院食の話でもします。

 病院の食事は、全体的に言うと、おいしいとは口が裂けてもいえません。でも点数の低い食事が多いぶん、たまに来るおいしい食事の偏差値がぐっとあがります。「そこそこおいしい」くらいのメニューが、日々の病気の疲れも相まって「ミシュラン3つ星★★★」くらいになります。それでは3つ星メニューを発表しましょう。夜分に飯テロすみません。

 

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ま、割と美味しそうに撮ってるので美味しそうですよね。正月におせちやお雑煮が出たり、クリスマスにロールケーキが出たりします。入院したての頃は、献立を見に行って、いいメニューだとテンションup⤴︎⤴︎、嫌いなメニューだと若干萎えてました。小学生かよ。

 

ちなみに嫌いなメニューが出たときは下のメニューの好きなやつに変えてくれたりするんですよ〜。至れり尽くせり。

 

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と、今日は久々に外気を吸ったので割とテンション高めの投稿でした。おやすみなさい。