或る闘病記

生きるって楽しい。

手術とその後

 

 手術室に入ると、ドラマで見るようなメスや機器が丁寧に揃えられていて、麻酔科医の方々が何人かいました。

 

 手術台に横になったあと、タオルをかけられてから病衣を脱ぎ、それから心電図やパルスオキシメーターが取り付けられました。そして酸素マスクを被され、点滴の針も入れられました。

 

「今から予備のお薬を投入します。その後に眠くなるお薬が入りますね。」と言われ、じっとしていると、すぐにふわふわした気分になってきました。

 

左手から、順に半身ずつ薬が回ってくる感覚がして、「よろしくお願いします」と麻酔科医の先生に言った直後、意識が飛びました。

 

 

「朝ですよ、分かりますか?」

 

目が覚めたのは、手術翌日の集中治療室(ICU)でした。

 

 実は手術後に一度起きていたそうですが、記憶にないので残念です。手術後は、人工呼吸の方が安定するので、再び寝かされたそうです。

 

結局、手術にはかなりの医師が立ち会ってくれたそうです。呼吸器外科の主治医、呼吸器外科の教授、呼吸器外科の担当医、呼吸器外科の研修医、そして泌尿器科の主治医...   すごい。錚々たる顔ぶれ。ありがとうございました。

 

 

 その後のICUでは、まだ麻酔が効いていて痛みはなかったのですが、シバリングが止まりませんでした。

 シバリングというのは、文字通り全身が震えることです。手術によってセットポイント(体温の通常値)が上昇し、そのために身体が寒いと判断して、平熱なのに、さらに熱を上げようとして全身を身震いさせます。これがシバリングで、実際、僕の体温は38.5℃まであがりました。

 

 シバリングは、筋肉の運動によって酸素消費量が増えたり、交感神経の刺激に伴い血圧や脈拍が上昇したりするので、術後の患者にとっては少々危険なもののようです。

 

 

 しばらくするとこれは収まったので、身体を拭いてもらってから、ICUを後にしました。

 

病室にもどって数時間は痛みも全くなかったので、「俺強すぎやろ!余裕やんけ!」とか思ってましたが、しばらくして麻酔の余韻がなくなると、もう強烈な痛みに襲われました。それこそ、もう息ができないレベルの痛みでした。夜も一睡もできませんでした。

 

 息が苦しくなると、全身に力が入って硬直するので、余計息苦しくなります。そこでイヤホンで音楽を聴いてリラックスすることにしました。するとこれが功を奏して、かなり余裕を持って呼吸することができました。僕がスマホの容量の大部分を費やして楽曲を何百曲も入れていたのは、そうかこの日のためだったんだな、と勝手に思いこみました。

 

 今日は明け方頃から痛みもほとんどなくなり、随分と動けるようになりました。昨日は無理やり歩く練習をさせられて(エコノミークラス症候群防止のため)、10mほど歩いたのですが、たったそれだけで脈拍が150くらいまで上がってぶっ倒れそうになっていました。でも、今日はかなり普通に歩けました。といっても、田舎によくいる腰の曲がったおばあちゃん並みのスピードですが。

 

 速く歩けないのは仕方ないですよ。これだけ管がついてるんですから。

 

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4つのカラフルな色のついた線が心電図、透明な細い管が硬膜外麻酔、太もも付近から出て床を這っている透明の太い管がドレーン、手首と手の甲に付いているのが点滴(2本)です。ほら、これだけついていたら最高時速は1kmでないでしょ。

 

 

硬膜外麻酔は前回のブログに書いたとおりです。ドレーンというのは、文字通り吸引装置で、手術で切った部分から出てきた胸水や空気、血漿を体内から吸い出してくれています。

これが吸引装置。

 

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赤いのは血ですね。

 

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ちなみに、手術跡はこれです。

 

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 痛そうでしょ?昨日はもうめちゃくちゃ痛かったです。喋れなかった。痛み止めを飲んでも食事ができなかった。もう今は、自由に会話できるし、何でも食べられるので、当たり前のことだけれども、本当にありがたいな、と思います。

 

 

 今日は友人が何人か来てくれました。どうせすることもないので、話し相手がいると心強いです。久々に会う友達も多くて、やっぱりなんだかんだ縁って大事やなぁと思います。今日会った友人の1人は、小学校の同級生で、中高は別ですが、大学は今年から同じになりました。なんかそういうのいいよね笑

 

多くの人とのこんなちょっとした縁が、いつまでもいつまでも続きますように。

 

 

手術前日

 

宝物に気づきました。

 

意外とすぐ近くにありました。

 

たくさんありました。

 

僕は本当に幸せでした。

 

人に恵まれていました。

 

応援のメッセージを送ってくれて。

 

会いにきてくれて、他愛もない話をして。

 

本当にあの頃と変わらない。

 

人の縁は、そんなに簡単に切れないんです。

 

いい宝物を授かったなぁ。

 

 

 

 

やっぱり、死にたくないや。

 

 

目の前に、こんなにも愛すべき世界が広がっているというのに。

 

5年生存率が40%であると告げられたあの日。

 

あぁ死ぬんだ、と本気で思いました。

 

学校に行ったり、友人と遊んだり、

 

そんな当たり前のような生活はもうできない、

 

僕はこの世を去るんだ。

 

涙が溢れて溢れて止まらなかった。

 

悔しかった。

 

本当に悔しかった。

 

でもさ、

 

崩れ落ちた自分に手を差し伸べてくれる人がいて。

 

倒れないようにと支えてくれる人がいて。

 

前を向けるように背中を押してくれる人がいて。

 

僕はあなた方がいなければここまでこれなかったんです。

 

頑張れ、負けるな、

 

そんな一声に何度救われたことか。

 

ありがとう。

 

本当に、本当に、ありがとう。

 

 

どこからともなく、追い風が吹いているような気がして、

 

多分それは、僕が恵まれているからなんです。

 

 

 

 

 

 

癌になって、全てが変わりました。

 

変わったと思っていました。

 

でも違いました。

 

変わったのは、自分の身体のごく一部だけでした。

 

家族も、友人も、先輩も後輩も、先生も、何も変わらなかった。

 

みんないつも通り接してくれました。

 

僕は患者である前に1人の人間でした。

 

 

 

 

大学を卒業する前に死ぬと思っていて、もう社会には出られないと思っていて、大学に通う意味さえ分からなくなっていたけれど、

 

結局前期より後期の方が成績が良かった。

 

今を全力で生きようと思ったんです。

 

患者としてではなくて、1人の人間として生きようと思ったんです。

 

患者であることを忘れさせてくれた人がたくさんいたんです。

 

そのおかげで、今僕はここにいます。

 

 

 

 

 

 

あなたもわたしも、いずれ死にます。

 

命は有限です。

 

だからこそ、いちはやくそれに気づくことが重要なんです。

 

 

 

 

 僕は、あの時風邪をうつされなかったら、今頃進行の進んだ癌の餌食となって死んでいました。

 

だから今こうして生きているのが、途轍もなく不思議で、この上なく嬉しくて、言葉にできないほど素晴らしく感じて。

 

 

 

けれども、僕は癌を決して悪者扱いしようとは思いません。

 

むしろ逆です。

 

僕は癌という病気に、この世界の美しさを教えてもらいました。

 

空が青かったり、パンが美味しかったり、朝気持ちよく起きられたり、

 

癌という病気は、そんな些細なことで心が満たされるほど幸せになれるようにしてくれたんです。

 

生きている今この瞬間がどれほど掛け替えのないものなのかを伝えてくれたんです。

 

 

そして明日、本当に何事もなく手術を迎えることが出来ました。

 

だからこそ、こう言えるんです。

 

ありがとう。

 

 

 

 

がんになって良かった。

 

 

 

 

 

 

 

2日前

 

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生を必する者は死し、死を必する者は生く。

                                                           ー  上杉謙信

 

 

 

手術まであと2日になりました。

正確に言うと、48時間後には手術は終わっている予定です。

 

 先日、血液検査と、PET検査、レントゲン、心電図、それから血管のエコー検査を行いました。全て問題なかったです。

 

 手術室への入室時刻は3月21日の午前9時になりました。手術室までストレッチャーで寝たまま運ばれるのかな?と思ったあなたは医療ドラマの見過ぎです。実際は病室から手術室まで5分くらい歩いていった後に自力で手術台によじ登ります。なんとも味気ない。

 

 

入室後すぐ、本人確認をされ、それから様々な機器が取り付けられます。

 

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そして酸素マスクが取り付けられ(このタイミングがいわゆる「麻酔開始」)、酸素を吸入して呼吸が安定してくるまで待ちます。それから今度は点滴で静脈に麻酔薬を投与されます。投与開始5秒ほどで意識が吹っ飛びます。あ、意識が. . . と思ったらもう手術が終わっているそうですね。ちょっと楽しみ。

 

 麻酔薬を投与された後は、同じく点滴で筋弛緩薬を投与されます。これで身体のすべての筋肉の動きが停止します。生きた屍ですね。心臓も筋肉の塊やし止まっちゃうんじゃないの?と思ったあなたは医療ドラマの見なさ過ぎです。筋弛緩薬を投与しても鼓動は止まりませんよ。

 筋弛緩薬は神経伝達物質アセチルコリンを阻害する働きがありますが、心臓は自動能を有するので神経を介して動かされている普通の筋肉とは異なる. . . んですよね。へぇ。

 

 しかし横隔膜が動かないと呼吸が出来ません。そこで人工呼吸に移行します。酸素マスクを通した人工呼吸により呼吸が安定したのを麻酔科医が確認したら、次は気管挿管です。口から気管内チューブを挿入して気道確保を行います。

 

 それから、実は局所麻酔も併用します。硬膜外麻酔と呼ばれるものです。

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 これは、手術で生じた痛みが神経の中枢である脊髄に伝わらないようにするための局所麻酔で、背骨の凹凸の隙間からカテーテルを入れて注射します。一般的には手術の前日に挿管されるそうで、明日の午後、一旦手術室に入る予定です。

 

 そして全ての準備が整ったら、手術が始まります。メスを入れた瞬間が「手術開始」。10時前くらいかな。術式は前回のブログに書いたとおりです。

 

手術予定時間は7〜8時間だそうです。終わるのは17、18時前後ってところでしょう。麻酔から覚めたら完全に夜ですね。朝寝て気がついたら夜、まさに長期休暇中の平均的な大学生ですね。

 

 

 

 ところで、どんな手術室だろうかと思って調べてみました。

 

 

 

 

 

 

 

!!!!

 

 

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すごい . . . 何やこれ . . . 

 

こんな最先端の医療を提供してもらうの、一周回って恐れ多いわ . . . もっとボロいやつでええのに . . .

 

 

 

 

さて、手術の後は、意識が戻ったら集中治療室(ICU)に入ります。ここで一泊。こちらでも追い打ちをかけるように日本最先端の高度医療が楽しめますよ。多分痛すぎてそんな余裕ないでしょうけど。16床に対して配属看護師50名以上。24時間の集中監視体制。何とまぁ恐れ多いこと。手術室の床にそのまま布団敷いて寝かしてくれたらいいのに。いやでもこんな経験出来ないでしょ。折角やし痛くなくてもナースコール押しとこ。

 

 

 今日ICUの看護師さんが来て、色々と説明してくれました。テレビとかに出てくるような物々しい雰囲気のところやし、バイタルの異常をお知らせする機械音とか鳴りっぱなしで緊張する患者さんも多いんやけど、大丈夫?みたいなこと聞かれたので、「めちゃくちゃ楽しみです!」とだけ言っておきました。正直、不謹慎やけどすごいワクワクする。天下の京大病院のICUやで...。主治医からICUの方に申請しておきましたと言われたとき嬉しくて飛び上がりそうになったのは内緒。

 

 

 それから手術を前にして医療ドラマにはまりました。コード・ブルーです。ガッキー可愛い。今日も一話分見てから寝ます。消灯後に起きてモゾモゾと携帯触ってると他の患者さんの迷惑になりそうですが、流石にこれですよ。

 

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4人部屋に1人。家の自分の部屋より広いやんけ!日頃の行い良すぎるやろ!!何やこれ!!!

 

 パーティー開けるよね。誰か明日来る?

 

 

あ〜 そわそわする。

怖いかって?むしろ逆。

修学旅行の前々日みたいな感じです。

 

 

変に興奮して文章がまとまりません。駄文が多いな。

それにしても外科医ってすごいよね。

おやすみなさい。

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天王山

 

 

 呼吸器外科の外来診察室に入ろうとする無意識に身体が強張るのは、以前ここで癌を宣告されたからに違いない。自分の人生のターニングポイント。

 

 今は便利な時代になったもので、外来受診機とかいうポータブル端末が行く場所と時間をお知らせしてくれる。早く診察室に入れと言わんばかりの少しうるさい呼び出し音を、強めにボタンを押して止める。

 

 

 

 「ついにここまで来ましたね。」

 

そう言って笑う次の主治医の顔にはどこか自信に溢れていて少し安心した。

 

 次の主治医、というのはつまり執刀医ということだ。別の病院からこの医師のところに紹介された後、一旦泌尿器科抗がん剤治療を行い、そして再びこの呼吸器外科へと戻って来た。最後はこの人に命を預けることになる。大丈夫。

 

 手術の日程と概要が説明された。入院は3月17日。そして手術は3月21日。退院は早くとも術後2週間。場合によっては2ヶ月。長い。

 

 左肺を切除すると言われても驚かなくなったのは、ここ3ヶ月の精神的進歩だなぁと自分を褒めてやる。もう少しリアクションしてあげた方が良かったかもしれない。

 

 詳細はこう。

 

おさらいすると、腫瘍のある位置はこの赤い丸の部分。これを取り除く。

 

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 まず全身麻酔をした後に、胸骨正中切開を行う。これは胸骨のど真ん中を、電動ノコギリで真っ二つにするという大胆ながらスタンダードな術式らしい。両胸の間を裂かれるわけかぁ。

 

 その後、逆コの字型にメスを入れ、左側の胸骨を持ち上げつつ縦隔腫瘍を取り除く。心臓や大動脈、大静脈の周辺でこの縦隔腫瘍だけを切除するのは非常にリスクが高いそうで、なるべくリスクを避けるために左肺上葉と共に腫瘍を切除する。

 

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さらに、縦隔腫瘍の近くにある左腕頭静脈も一緒に切除する。

 

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 緑の部分が左右腕頭静脈。このうち左側(図では右側)を腫瘍と共に切除する予定。再建(人工血管又は自身の血管で再び繋ぐこと)をするかどうかはオペ中に決めるそう。自身の血管を使う場合はスネの内側の血管を使うらしい。それから、この左右の腕頭静脈は合流して下大静脈になるので上大静脈の間違いです。とある国立大学医学部医学科の友人よりご指摘いただきました。さすがですね。)、再建しなかった場合は左側の腕と顔が数週間むくむとか何とか。そりゃそうか。

 

 加えて、同じように左横隔神経も切除するらしい。横隔神経というのは、文字通り横隔膜の動きを司る神経のこと。

 

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ここで問題となるのが肺機能の低下。そもそも肺には筋肉がなく、横隔膜の上下で呼吸が成立しているのはよく知られているけれど、果たして左肺上葉と左横隔神経を切除するとどれくらい肺機能が低下することやら... すぐ息切れするんだろうなぁ。激しい運動もできなくなるかもしれない。まぁ仕方ないか。

 

 

そして腫瘍を取り除けばあとは縫合のみ。真っ二つにした胸骨はどうするの?と思いきや、チタンのボルトで止めるそうです。一生レントゲンに写るよーとか言われました。メスを入れた部分も一生傷になるね。

 

 

 これ麻酔切れたら絶対痛いやつやん。

 

あと胸に傷のあるハゲのマッチョって、形だけは立派なヤクザですよね。グラサンかけて刺青でも入れたろうかなぁ。

 

 

 

 とりあえず頑張ろう。

 今までは痛くも痒くもなかったけれど、ここに来て天王山を迎えることになりましたとさ。

 

ちなみに死ぬ確率は2〜3%あるそうです。まぁ大丈夫でしょ。もともと五分五分やったからね。でも会いたい人にはちゃんと全員会っとこうかな。

 

 

 

 

前夜

 

明日、退院しましょう。

 

 その言葉を心待ちにしていたはずなのに、素直に喜べなかったのは、この数ヶ月で数多くの貴重な経験をさせてもらったからかもしれない。こんなことを言うと怒られそうな気もするけれど、でももう少しここにいたい、と思う気持ちも心のどこかにあるというか。本当にいい時間でした。

(あ、別に可愛い看護師さんに朝起こされるのがクセになったとかそういうのではないです。)

 

 入院と言われて全く実感がなかった時と同じように、退院と言われても全く実感がなくて、そうか、そんなに長い月日が経っていたんだな、と思い返してみる。この8Fから眺める夕陽も今日で最後なんだよなぁ。感傷的になってしまったせいでヤケに綺麗に見えました。加工なし。

 

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 治ったの?と聞かれることが多いですがまだ治ってないですよ。

手術してないもん。

あと一息というところですね。

 

ところで。

本日、めでたくAFPが基準値内に収まりました。AFPというのはいわゆる腫瘍マーカーとやらの一つです。

 

 体内に腫瘍ができると、血液や尿に含まれるタンパク質や酵素、ホルモンなどが急激に増えることがあり、正常時にはみられない物質が現れることもあります。これが腫瘍マーカーで、量や種類によって腫瘍の存在を間接的に知ることができます。

 

 AFPはα-フェトプロテインの略称で、胎児期に現れるタンパク質の一種だそうです。胎児?と思った方はピノコの話を思い出してくれると早いですね。ヤツから分泌されています。

 

 今は看護師さんにお願いすると採血結果を印刷してくれるんですよね。そりゃ貰えるもんは貰いますよ。自分の命がかかってるんですから。

 というわけで、手元には3ヶ月分の採血データがあります。看護師さん曰く「物好き」らしい。知らんがな。

 

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 せっかくなので、グラフにしてみました。まずはAFP。

 

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 4クール分ギリギリで陰転化しました。危なかった。あと数ヶ月発見が遅れてたら死んでましたね。割とマジで。命拾い。

 本日2月23日、ようやく基準値を下回りましたとさ。

 

 次はHCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)と呼ばれるホルモンです。これは胎盤から分泌される性腺刺激ホルモンで、妊婦から検出されます。

 

 妊娠?してるんですよね〜

僕のお腹の中(正確には両肺の間)にはピノコがいるんですよピノコが...。

 

 ちなみに、一般的な妊娠検査薬は、このHCGが分泌されているかどうかで陰陽を判断しているそうですね。僕がもし去年妊娠検査薬を使っていたら間違いなく陽性だったはずです。男のくせに、あの小窓に赤線が浮き出るんですよ。気持ちわる。

 

 経過はこのような感じです。

 

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こちらは10日前にめでたく陰転化しました。良かった良かった。もう妊娠検査薬にも反応しないでしょう。

 

というわけで一時退院です。

 

 退院せずそのまま手術したらいいんじゃないの?と思うかもしれませんが(僕もそう思います)、何せ手術する部位が部位なもので(参照)カンファレンスにかけてじっくり決めるそうです。手術は早くても3月中旬、おそらく3月末になるとのこと。それまで野放し。

 

 

 というわけで。

ご飯に連れて行ってください。遊んでください。それから運動不足なんで一緒に走ってくれる人も募集中です。僕は髪の毛がないくらいで、至って元気です。よろしくお願いします。色んな人に会いたいし、会いに行きたい。

 

 

 退院前夜。今日はいい夢が見られそうな気がする。おやすみなさい。

 

 

ストレート・ライン

 

 一直線に走りなさい、と教えられてきた。

 真っ直ぐに歩きなさい、と手ほどきされてきた。

 

 教えられた気になっていただけかもしれないけれど、それが美徳だった。歩んできた道に穢れの一点さえも残さないことこそが美しい生き方だと思っていた。蛇行は許されない。最短距離かつ最速。これが好きだった。

 

 確かに山があり、そして谷もあった。しかしそこには必ず道があった。橋がありトンネルがあった。目抜き通りであれ獣道であれ、足は定められた方向にしか進まなかった。

 

 寄り道は時間の無駄だと感じていた。遠回りはエネルギーの無駄だと思っていた。道を外れることなど言語道断だった。

 

 ところが、山道を一直線に走りながら遥か未来ばかりを見つめていたら滑落した。あっ、と身構えたときにはもう遅かった。まさかそんな災難が自分に降りかかるとは思うよしもなかった。「あなたは助からないかもしれない」、そう告げられた。はじめて道を外れた。五里霧中だった。

 

 

 ストレート・ライン。

「あなたはいつも走ってきた。走りすぎたのかしら。」あの先生はそう言った。「これは少し休みなさいというサイン」。

 

 

 滑落したときは絶望した。描いていた道から外れたということ、もう元には戻れないかもしれないということ、その不安が頭の中を埋め尽くした。酸素の供給が断ち切られた気がした。

 

 癌。

 

 今生きるという行為は未来の為の投資だと思っていた。道を外れることは未来を壊滅させるに等しかった。

 

 

 そんなとき、寄り道こそが人生なんだ、と教えてくれた大人がいた。何人もいた。

 

 それぞれ、切り口は全く違った。会社員や青年海外協力隊を経て教師になられた恩師。もう時効だからと言って大学で驚くほど留年した話をしてくれた小学校の先生と大学の教授。人生を達観したような顔つきの元学年主任。塾の先生。そして1浪1留を今になって打ち明けた親父。

 

 地道に生きよう。そう強く思った。駆け足もいいけれど、何か美しい景色を見逃してしまいそうな気がする。そうそう、「地道」はもともと馬術用語らしい。馬の乗り方のうち最も速いのが「駆け」、次に「のり」、そして最も遅い並み足が「地道」だそうだ。「駆け」では道端の一輪花に気づけないだろうし、寄り道もうまくできない。「地道」で歩を進める。

 

 

 以前別のブログの方にも書いたが、僕は人生を「自然の大いなる潮流」の一部だとする考え方が好きだ。生きるということは、流れに身を任せて蛇行することなんだと気付いた。ストレート・ラインなど描けるわけがないし、むしろ蛇行する人生の方が幾分面白いのだろう。

 

もがいてはいけない。

人生はもがいてはいけないと思う。

 

流れに呑まれた時、もがくと体力を消耗して溺れてしまうのは誰しもが知っているはずだ。海で溺れた時は服を脱いで仰向けになるのがいいですよ、なんてニュースでよくやっている。人生に溺れそうになったら、纏わりつくものを取っ払って空でも眺めていればいい、そうすれば何とでもなるのだろう。

 

 集中しすぎないのが真の集中だ、と僕が尊敬するアスリート兼哲学者の為末さんは講演会で言っていた。集中していることを自覚しているうちは集中していないのだそうだ。フローと呼ばれる超集中状態では、身体は非常にリラックスしているという。スポーツでも勉強でもそうだし、これは結局生きることにも通じる気がする。生きることに集中しているうちは生きられない。溺れないようにしようと思っていては溺れてしまう。ガチガチになっていては良いパフォーマンスは生まれないから。もし苦しくなったら、もがく前に裸一貫になって空でも眺めればいいんだ。晴れも雨も恵み。最近気付いたけれど、3日に1回くらいは虹が出る。

 

人生はもがいてはいけない。

惰性ではないけれど、流れに身を任せて。

エネルギーがあるなら逆行せず順行で泳げばいい。潮の流れは追い風に変わる。息を継ぐたびに空を見て、そしてたまには仰向けになる。仰向けになっても流れがあるから実は進んでいる。

 

未来のために生きるのではなく、今を生きる。

結局それがいちばんの近道だったりする。「必死に生きる」なんて言葉、"死"と"生"の文字が介在していて気持ち悪い。地道に生きればいい。何もないよりは集中した方がいいのだろうけど、僕はフローの境地に達したい。流されるがままに泳ぎ、自然と寄り道しながら、天気のいい日は仰向けになって空を見上げていたい。

 

ふと「ストレート」の単語を英和辞典で引いてみると、" Live straight " という熟語があった。訳が「地道に生きる」だと知った時、必ずしも直線だけがストレートではないのだ、と気付かされたのだった。

ブラック・ジャック

 

 病気というものが生命の自然淘汰システムであるとするならば、それに抗うことはエゴなのかもしれない...

 

 医療はエゴなんだろうか。

 

 ブラック・ジャックを読むといつも変な感覚に襲われるのは、こういうところかもしれない。無免許の天才外科医。数千万の大金を積めば難病でさえ治してしまう、そんな医師を通して手塚治虫は何を伝えたかったのだろうか...。

 

 

 

 あ、ややこしい話はこの辺でやめときます。続きはまた書くかもしれないし書かないかもしれない。

 

 

ところで。

 

ブラックジャックの助手ピノコをご存知でしょうか。

 

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そうです、この可愛らしい子ですね。

実は僕の身体の中にはピノコがいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

え?

 

 

って感じですよね。

分かる人には分かるかもしれない。

僕も最近知ったわけで。

まさにアッチョンブリケ

 

 

 

まずはピノコがどのようにして生まれたかということですが、彼女はもともと人間として生まれてきたわけではありません。ブラックジャックの手によって「作られた」のです。

 

あらすじはこう。

 

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ある日、ブラックジャックのもとに、大きな腫瘍を患った資産家の娘が運び込まれてくる。その腫瘍は畸形嚢腫(奇形腫)と呼ばれるもので、胚から分化して身体の様々な部位になったものが腫瘍の中にバラバラに入っていた。

 

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 しかしこの腫瘍、どういうわけか意思を持っており、切除を超能力で妨害してくる。そのためブラックジャックはその腫瘍を生かしてやることにし、切除後、腫瘍の中にあった身体の各部のパーツを繋ぎ合わせて人間を作った...。

 

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 こうしてピノコが誕生したのです。実際にはそんなこと出来ないんですけどね。マンガですから。

 

 

 ただ、僕の身体の中にピノコがいるというのは本当です。

 

僕の場合は

 

縦隔原発胚細胞腫瘍

非セミノーマ

奇形腫・卵黄嚢種混合型

   ↑

これですこれです!

 

握りこぶしより少し大きいくらいの腫瘍の中に、胚細胞から分化した様々なもの(髪の毛、脂肪、骨、歯など)が詰まってるんですよね。肺とか心臓とかの近くにそんなものがあるなんて。つくづく人間の身体って不思議だなぁと思います。というか胚細胞って本当に何にでもなれるんだよなぁって改めて驚きました。そりゃそうか。あなたも私も、もともとたった一つの細胞から生まれてきたもんね。すごい。そして理論上は分かっていても、実際のところやっぱり分からない。

 

 iPS細胞にも期待しちゃいますね。何にでも分化できる細胞。生命の神秘。がん細胞を殺傷するキラーT細胞まで作れるというから驚きです。あ、そうそう、病棟からiPS細胞研究所も見えるんですよ。そりゃそうか。

 

 では今日はこの辺で。おやすみなさい。