天王山
呼吸器外科の外来診察室に入ろうとする無意識に身体が強張るのは、以前ここで癌を宣告されたからに違いない。自分の人生のターニングポイント。
今は便利な時代になったもので、外来受診機とかいうポータブル端末が行く場所と時間をお知らせしてくれる。早く診察室に入れと言わんばかりの少しうるさい呼び出し音を、強めにボタンを押して止める。
「ついにここまで来ましたね。」
そう言って笑う次の主治医の顔にはどこか自信に溢れていて少し安心した。
次の主治医、というのはつまり執刀医ということだ。別の病院からこの医師のところに紹介された後、一旦泌尿器科で抗がん剤治療を行い、そして再びこの呼吸器外科へと戻って来た。最後はこの人に命を預けることになる。大丈夫。
手術の日程と概要が説明された。入院は3月17日。そして手術は3月21日。退院は早くとも術後2週間。場合によっては2ヶ月。長い。
左肺を切除すると言われても驚かなくなったのは、ここ3ヶ月の精神的進歩だなぁと自分を褒めてやる。もう少しリアクションしてあげた方が良かったかもしれない。
詳細はこう。
おさらいすると、腫瘍のある位置はこの赤い丸の部分。これを取り除く。
まず全身麻酔をした後に、胸骨正中切開を行う。これは胸骨のど真ん中を、電動ノコギリで真っ二つにするという大胆ながらスタンダードな術式らしい。両胸の間を裂かれるわけかぁ。
その後、逆コの字型にメスを入れ、左側の胸骨を持ち上げつつ縦隔腫瘍を取り除く。心臓や大動脈、大静脈の周辺でこの縦隔腫瘍だけを切除するのは非常にリスクが高いそうで、なるべくリスクを避けるために左肺上葉と共に腫瘍を切除する。
さらに、縦隔腫瘍の近くにある左腕頭静脈も一緒に切除する。
緑の部分が左右腕頭静脈。このうち左側(図では右側)を腫瘍と共に切除する予定。再建(人工血管又は自身の血管で再び繋ぐこと)をするかどうかはオペ中に決めるそう。自身の血管を使う場合はスネの内側の血管を使うらしい。それから、この左右の腕頭静脈は合流して下大静脈になるので(上大静脈の間違いです。とある国立大学医学部医学科の友人よりご指摘いただきました。さすがですね。)、再建しなかった場合は左側の腕と顔が数週間むくむとか何とか。そりゃそうか。
加えて、同じように左横隔神経も切除するらしい。横隔神経というのは、文字通り横隔膜の動きを司る神経のこと。
ここで問題となるのが肺機能の低下。そもそも肺には筋肉がなく、横隔膜の上下で呼吸が成立しているのはよく知られているけれど、果たして左肺上葉と左横隔神経を切除するとどれくらい肺機能が低下することやら... すぐ息切れするんだろうなぁ。激しい運動もできなくなるかもしれない。まぁ仕方ないか。
そして腫瘍を取り除けばあとは縫合のみ。真っ二つにした胸骨はどうするの?と思いきや、チタンのボルトで止めるそうです。一生レントゲンに写るよーとか言われました。メスを入れた部分も一生傷になるね。
これ麻酔切れたら絶対痛いやつやん。
あと胸に傷のあるハゲのマッチョって、形だけは立派なヤクザですよね。グラサンかけて刺青でも入れたろうかなぁ。
とりあえず頑張ろう。
今までは痛くも痒くもなかったけれど、ここに来て天王山を迎えることになりましたとさ。
ちなみに死ぬ確率は2〜3%あるそうです。まぁ大丈夫でしょ。もともと五分五分やったからね。でも会いたい人にはちゃんと全員会っとこうかな。
前夜
明日、退院しましょう。
その言葉を心待ちにしていたはずなのに、素直に喜べなかったのは、この数ヶ月で数多くの貴重な経験をさせてもらったからかもしれない。こんなことを言うと怒られそうな気もするけれど、でももう少しここにいたい、と思う気持ちも心のどこかにあるというか。本当にいい時間でした。
(あ、別に可愛い看護師さんに朝起こされるのがクセになったとかそういうのではないです。)
入院と言われて全く実感がなかった時と同じように、退院と言われても全く実感がなくて、そうか、そんなに長い月日が経っていたんだな、と思い返してみる。この8Fから眺める夕陽も今日で最後なんだよなぁ。感傷的になってしまったせいでヤケに綺麗に見えました。加工なし。
治ったの?と聞かれることが多いですがまだ治ってないですよ。
手術してないもん。
あと一息というところですね。
ところで。
本日、めでたくAFPが基準値内に収まりました。AFPというのはいわゆる腫瘍マーカーとやらの一つです。
体内に腫瘍ができると、血液や尿に含まれるタンパク質や酵素、ホルモンなどが急激に増えることがあり、正常時にはみられない物質が現れることもあります。これが腫瘍マーカーで、量や種類によって腫瘍の存在を間接的に知ることができます。
AFPはα-フェトプロテインの略称で、胎児期に現れるタンパク質の一種だそうです。胎児?と思った方はピノコの話を思い出してくれると早いですね。ヤツから分泌されています。
今は看護師さんにお願いすると採血結果を印刷してくれるんですよね。そりゃ貰えるもんは貰いますよ。自分の命がかかってるんですから。
というわけで、手元には3ヶ月分の採血データがあります。看護師さん曰く「物好き」らしい。知らんがな。
せっかくなので、グラフにしてみました。まずはAFP。
4クール分ギリギリで陰転化しました。危なかった。あと数ヶ月発見が遅れてたら死んでましたね。割とマジで。命拾い。
本日2月23日、ようやく基準値を下回りましたとさ。
次はHCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)と呼ばれるホルモンです。これは胎盤から分泌される性腺刺激ホルモンで、妊婦から検出されます。
妊娠?してるんですよね〜
僕のお腹の中(正確には両肺の間)にはピノコがいるんですよピノコが...。
ちなみに、一般的な妊娠検査薬は、このHCGが分泌されているかどうかで陰陽を判断しているそうですね。僕がもし去年妊娠検査薬を使っていたら間違いなく陽性だったはずです。男のくせに、あの小窓に赤線が浮き出るんですよ。気持ちわる。
経過はこのような感じです。
こちらは10日前にめでたく陰転化しました。良かった良かった。もう妊娠検査薬にも反応しないでしょう。
というわけで一時退院です。
退院せずそのまま手術したらいいんじゃないの?と思うかもしれませんが(僕もそう思います)、何せ手術する部位が部位なもので(参照)カンファレンスにかけてじっくり決めるそうです。手術は早くても3月中旬、おそらく3月末になるとのこと。それまで野放し。
というわけで。
ご飯に連れて行ってください。遊んでください。それから運動不足なんで一緒に走ってくれる人も募集中です。僕は髪の毛がないくらいで、至って元気です。よろしくお願いします。色んな人に会いたいし、会いに行きたい。
退院前夜。今日はいい夢が見られそうな気がする。おやすみなさい。
ストレート・ライン
一直線に走りなさい、と教えられてきた。
真っ直ぐに歩きなさい、と手ほどきされてきた。
教えられた気になっていただけかもしれないけれど、それが美徳だった。歩んできた道に穢れの一点さえも残さないことこそが美しい生き方だと思っていた。蛇行は許されない。最短距離かつ最速。これが好きだった。
確かに山があり、そして谷もあった。しかしそこには必ず道があった。橋がありトンネルがあった。目抜き通りであれ獣道であれ、足は定められた方向にしか進まなかった。
寄り道は時間の無駄だと感じていた。遠回りはエネルギーの無駄だと思っていた。道を外れることなど言語道断だった。
ところが、山道を一直線に走りながら遥か未来ばかりを見つめていたら滑落した。あっ、と身構えたときにはもう遅かった。まさかそんな災難が自分に降りかかるとは思うよしもなかった。「あなたは助からないかもしれない」、そう告げられた。はじめて道を外れた。五里霧中だった。
ストレート・ライン。
「あなたはいつも走ってきた。走りすぎたのかしら。」あの先生はそう言った。「これは少し休みなさいというサイン」。
滑落したときは絶望した。描いていた道から外れたということ、もう元には戻れないかもしれないということ、その不安が頭の中を埋め尽くした。酸素の供給が断ち切られた気がした。
癌。
今生きるという行為は未来の為の投資だと思っていた。道を外れることは未来を壊滅させるに等しかった。
そんなとき、寄り道こそが人生なんだ、と教えてくれた大人がいた。何人もいた。
それぞれ、切り口は全く違った。会社員や青年海外協力隊を経て教師になられた恩師。もう時効だからと言って大学で驚くほど留年した話をしてくれた小学校の先生と大学の教授。人生を達観したような顔つきの元学年主任。塾の先生。そして1浪1留を今になって打ち明けた親父。
地道に生きよう。そう強く思った。駆け足もいいけれど、何か美しい景色を見逃してしまいそうな気がする。そうそう、「地道」はもともと馬術用語らしい。馬の乗り方のうち最も速いのが「駆け」、次に「のり」、そして最も遅い並み足が「地道」だそうだ。「駆け」では道端の一輪花に気づけないだろうし、寄り道もうまくできない。「地道」で歩を進める。
以前別のブログの方にも書いたが、僕は人生を「自然の大いなる潮流」の一部だとする考え方が好きだ。生きるということは、流れに身を任せて蛇行することなんだと気付いた。ストレート・ラインなど描けるわけがないし、むしろ蛇行する人生の方が幾分面白いのだろう。
もがいてはいけない。
人生はもがいてはいけないと思う。
流れに呑まれた時、もがくと体力を消耗して溺れてしまうのは誰しもが知っているはずだ。海で溺れた時は服を脱いで仰向けになるのがいいですよ、なんてニュースでよくやっている。人生に溺れそうになったら、纏わりつくものを取っ払って空でも眺めていればいい、そうすれば何とでもなるのだろう。
集中しすぎないのが真の集中だ、と僕が尊敬するアスリート兼哲学者の為末さんは講演会で言っていた。集中していることを自覚しているうちは集中していないのだそうだ。フローと呼ばれる超集中状態では、身体は非常にリラックスしているという。スポーツでも勉強でもそうだし、これは結局生きることにも通じる気がする。生きることに集中しているうちは生きられない。溺れないようにしようと思っていては溺れてしまう。ガチガチになっていては良いパフォーマンスは生まれないから。もし苦しくなったら、もがく前に裸一貫になって空でも眺めればいいんだ。晴れも雨も恵み。最近気付いたけれど、3日に1回くらいは虹が出る。
人生はもがいてはいけない。
惰性ではないけれど、流れに身を任せて。
エネルギーがあるなら逆行せず順行で泳げばいい。潮の流れは追い風に変わる。息を継ぐたびに空を見て、そしてたまには仰向けになる。仰向けになっても流れがあるから実は進んでいる。
未来のために生きるのではなく、今を生きる。
結局それがいちばんの近道だったりする。「必死に生きる」なんて言葉、"死"と"生"の文字が介在していて気持ち悪い。地道に生きればいい。何もないよりは集中した方がいいのだろうけど、僕はフローの境地に達したい。流されるがままに泳ぎ、自然と寄り道しながら、天気のいい日は仰向けになって空を見上げていたい。
ふと「ストレート」の単語を英和辞典で引いてみると、" Live straight " という熟語があった。訳が「地道に生きる」だと知った時、必ずしも直線だけがストレートではないのだ、と気付かされたのだった。
ブラック・ジャック
病気というものが生命の自然淘汰システムであるとするならば、それに抗うことはエゴなのかもしれない...
医療はエゴなんだろうか。
ブラック・ジャックを読むといつも変な感覚に襲われるのは、こういうところかもしれない。無免許の天才外科医。数千万の大金を積めば難病でさえ治してしまう、そんな医師を通して手塚治虫は何を伝えたかったのだろうか...。
あ、ややこしい話はこの辺でやめときます。続きはまた書くかもしれないし書かないかもしれない。
ところで。
そうです、この可愛らしい子ですね。
実は僕の身体の中にはピノコがいます。
え?
って感じですよね。
分かる人には分かるかもしれない。
僕も最近知ったわけで。
まさにアッチョンブリケ。
まずはピノコがどのようにして生まれたかということですが、彼女はもともと人間として生まれてきたわけではありません。ブラックジャックの手によって「作られた」のです。
あらすじはこう。
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ある日、ブラックジャックのもとに、大きな腫瘍を患った資産家の娘が運び込まれてくる。その腫瘍は畸形嚢腫(奇形腫)と呼ばれるもので、胚から分化して身体の様々な部位になったものが腫瘍の中にバラバラに入っていた。
しかしこの腫瘍、どういうわけか意思を持っており、切除を超能力で妨害してくる。そのためブラックジャックはその腫瘍を生かしてやることにし、切除後、腫瘍の中にあった身体の各部のパーツを繋ぎ合わせて人間を作った...。
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こうしてピノコが誕生したのです。実際にはそんなこと出来ないんですけどね。マンガですから。
ただ、僕の身体の中にピノコがいるというのは本当です。
僕の場合は
縦隔原発胚細胞腫瘍
非セミノーマ
奇形腫・卵黄嚢種混合型
↑
これですこれです!
握りこぶしより少し大きいくらいの腫瘍の中に、胚細胞から分化した様々なもの(髪の毛、脂肪、骨、歯など)が詰まってるんですよね。肺とか心臓とかの近くにそんなものがあるなんて。つくづく人間の身体って不思議だなぁと思います。というか胚細胞って本当に何にでもなれるんだよなぁって改めて驚きました。そりゃそうか。あなたも私も、もともとたった一つの細胞から生まれてきたもんね。すごい。そして理論上は分かっていても、実際のところやっぱり分からない。
iPS細胞にも期待しちゃいますね。何にでも分化できる細胞。生命の神秘。がん細胞を殺傷するキラーT細胞まで作れるというから驚きです。あ、そうそう、病棟からiPS細胞研究所も見えるんですよ。そりゃそうか。
では今日はこの辺で。おやすみなさい。
抱負
明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
髪の毛も綺麗さっぱりなくなって、清々しい新年を迎えました。病院の最上階から見る初日の出は美しかったです。曇っていて見えないかと思われましたが、無事、雲の切れ間から陽が覗きました。
ところで。
実は今まで、この闘病記では病名も治療法も公言していませんでした。あまり心配させてしまってもいけないし、中途半端に説明して誤解されてもいけないと思っていたからです。
でもやっぱり知っておいてほしい、そう思うようになりました。それだけで力になるような気がするからです。ちゃんと言います。
僕の癌は、胚細胞腫瘍と呼ばれるものです。精巣がんのほとんどが、この胚細胞腫瘍だとされています。
しかしながら、僕の場合は精巣には出来ませんでした。胚細胞腫瘍の約3%にあたる、"性腺外"胚細胞腫瘍です。原発巣が左右の肺の間、前縦隔と呼ばれる部分にあります。
この下の赤い丸の部分に、長径約10cmの腫瘍があります。握りこぶしくらいですかね。
精巣原発の胚細胞腫瘍の5年生存率は、80〜90%とされていますが、性腺外に腫瘍が出来ると格段に生存率が落ちます。縦隔原発の場合、5年生存率は40%程度とされています。
また、大動脈をはじめとする大きな血管や、心臓・肺といった重要な臓器、さらには胸骨の内側ということもあって、そう簡単に切除できるものではありません。
また、胚細胞腫瘍は癌の中でもトップレベルで進行の早い癌です。
そこで化学療法を行います。抗がん剤治療です。進行が早いということは、すなわち増殖の速い細胞が多く、抗がん剤が効きやすいのです。 (髪の毛が抜けたりするのも、その部分の細胞の増殖が速いからです。)
まずはBEP療法と呼ばれる治療法を行います。何日目の何時にどの点滴を打つかまで、正確に決まっている確立した治療法です。そしてガン細胞を壊死させて小さくした上で、切除手術に踏み切ります。この手術は極めて難しく、時には20時間程度を要することもあるそうです。
ただ、この治療法は毒性の関係上、21日間を1クールとして4クールまでしか行えません。それまでに腫瘍が縮小しなければ、それ以降は別の療法に切り替えねばならないのですが、そうなるとBEP療法ほどの効果はあげられなくなります。つまり、来年の春には回復の目処が立っていないといけない。
要は、この癌は短期決戦なのです。僕が1年後に生きている確立は、統計上は五分五分です。統計上はね。
だからこそ、2017年は勝負の年なのです。生きるか死ぬか。1年後には土の下に眠っているか、土の上で走り回っているかの二択なのです。
人生の天王山ってやつですね。
頑張ろう。
今日の日の入りも美しかったです。
西方に沈む夕日を、僕は1年後もこの目で見る。そう誓いました。
明日も生きよう。
脅威と驚異
昨日はクリスマスでしたね。ぼっちは何とか回避しました。
そういえば。
クリスマスの朝、やっぱり枕元にありましたよ。
そうです。あれです。
大量の毛髪です。
本当に汚くてすみません。
寝癖がついたままの髪の毛が抜けています。
まぁ、量的にはこんなのまだ序の口らしいですけどね。おそろしや。
引っ張るとスルスルっと抜ける、とかそういう次元ではなくて、もはや風に煽られるくらいで抜けていきます。
30秒ドライヤーを当てるとこの有様。
もう抜けすぎて、写真を撮らずにはいられないですね。流石にあと数ヶ月もつとは思えない...
正常な細胞にこれだけ効いているんだからガン細胞にもかなり効果があるのでしょう。きっと。
僕はもうハゲてる人を見て笑うことはこの先ないと思います。自分の体の一部が目に見えてなくなっていくの、案外つらいね。
ところで。
予定では明日、自家末梢血幹細胞採取を行います。これは、もし今の療法で効果があげられず、造血幹細胞が死滅するほど強い抗がん剤を打つことになったとき、血球を復活させるために造血幹細胞を予め採取しておくというものです。
https://www.ntt-east.co.jp/kmc/guide/hematology/psc.html
自分の病気に対する知識もかなり増えてきました。新しいことを知るたびに、つくづくと人間の身体の不思議というか、生物って絶妙なバランスの上に作られているんだなぁと思うし、だからこそカナメのネジが一本でも吹っ飛ぶと脆くも崩れ去ってしまうというか。
単なる無機物と有機物の集合体に命が宿っていて、意思があって、その上動き回ってるってどう考えても驚異的というか、むしろおかしくないですか?
まぁいいや。今日は体調も気分もいいので映画でも見て寝ます。
そうそう、明後日あたりから外泊できそうです。やった。
それでは。最近更新遅くてすみません。
明日も生きよう。
QOL
「ばか、入院生活で一番大事なのはQOLなんだよキュー・オー・エル!」
高2のときの担任の先生は笑ってそう言った。ちょうど2週間前に高校に行ったときの話。癌だと告げると驚いたような表情をしたのも束の間、「あなたは話題に事欠かない人だね〜。」とおどけた。先生はこの日も白衣を着ていた。
入院して1週間が経った。些細なことに幸せを感じられるようになった。朝起きると青空が広がっていて、白い雲の切れ間から朝日がまみえる。心地よい寒気が肌をつつく。それだけで、本当にそれだけでいい。
Quality of Life. 「生活の質」というよりも、「人生の質」とかいう風に訳した方がしっくりきそうな気もする。
質を高める、ということの最も簡単な方法は、自ら低い基準値を設定することかもしれない。それは当然いい意味で、ということだが。生きることの質なんてものは数字で測りきれないし、測りきれないからこそ自分自身の設定値が基準となりうる。
今まで当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなったとき、必然的に基準値は下がるものだ。するとどうだろう、もう何もかもが素晴らしい世界に見えてきてしまう。愛すべき世界が眼前に広がっていることに気づく。朝起きて自分が生きている、今ここにいる、この何とも言い難い快感。
でも実を言うと、これまで通りの基準値だったとしても、病院生活はそこまで不自由じゃないかもしれない。それくらい充実している。今日も朝から元気にパンに小細工して食ってやった。美味しい。友達が持ってきてくれたラフランスは生ハムで巻いて食べました。何食べてもいいからね。お昼のハヤシライスも美味しかったなぁ。築1年、Wi-Fi完備。ここはホテルかよ。